「一日一食と聞けば自分も一食に」谷川俊太郎を追い続けた詩人・藤川幸之助が語る忘れられない言葉
小学校の教員をしながら詩を書き、認知症の母の介護の日々も言葉にするようになった。谷川さんの作品は全て読んだ。力をもらい、勇気をもらい、介護の日々の中でひたすら詩を書いた。 藤川さん: 「この写真は、私が教師を辞めて詩人の道を歩み始めた翌年の2002年10月。長崎市の活水女子大学で行われた『クレーの天使』という谷川俊太郎さんと、息子の谷川賢作さんのコンサートに行った時のものです」(「写真を見る」から見ることができます) 「私が詩人になるきっかけとなった谷川さんの詩集『日々の地図』を持参し、サインをしていただきました。まさかこの6年後に、谷川さんと一緒に詩集を作ることになるとは…。この時は考えもしませんでした」 藤川さんが谷川さんと直接かかわるようになったは、2008年。その「縁」は突然舞い込んできた。 藤川さん: 「出版社の編集担当者から『谷川さんと詩集を作りませんか?』と言われまして…。その時の僕は『あの谷川俊太郎が、田舎に住む一詩人を相手にするわけないじゃないか』としか思いませんでした。だって、あの谷川俊太郎ですよ!でも、しばらくして電話がかかってきて『谷川ですけど…』って言うんです。『どちらの谷川さんですか?』って聞いたら、あの谷川俊太郎だった!しかも『藤川さん、一緒にやりましょうよ』って。そこからは、それこそ夢のようでした」 ■僕の手土産のカステラを 共著『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規、2008年)。巻末には、谷川さんの自宅で行われた対談がおさめられている。自宅を訪問した時の思い出を、藤川さんは生き生きと話す。 藤川さん: 「谷川さんのお宅にお邪魔しての対談でした。訪問前には、服装はこれでよいだろうか…とあれこれ考えて。お宅にお邪魔してからも緊張でガッチガチでした」 「谷川さんのお父様(※哲学者の谷川徹三さん)とお母様の写真、それから大きな満月の写真が部屋に飾ってあったのは覚えています。谷川さんが『藤川さん、もう少し気楽にやりましょうよ』と言って、お茶を出してくださったり、僕が手土産に持って行ったカステラまで出してくださったり(笑)『満月の夜、母を施設に置いて』は、谷川さんのお陰でよく売れました(笑)」