「もう誰かの役に立つことはできないと思っていた」乙武洋匡が二足歩行に挑戦した理由
今の自分を支える記憶 葛藤の末、子どもたちからもらった「答え」
――自分の親は選べないということを、ソーシャルゲームの「ガチャ」に例えた“親ガチャ論争”。最近乙武さんは、インターネットでご自身の考えを発信されていましたね。 私は肉体的にはガチャは大外れ。けれどその他のガチャには非常に恵まれました。親ガチャもそうですし、友人もそう。そのおかげで肉体的ハンディをそこまで影響を受けずに生きていくことができましたが、それはあくまで偶然です。世の中にはガチャ外れっぱなしの方もいるでしょうし、1個の外れが大きく響いて前向きになれない方もいる。それを、「そんなこと気にするな」とか「前を向いて頑張れって」というのは、本当にそれでいいのかと危ぶんでしまう。ガチャの本質的意味は運試しってことじゃないですか。人生をもしガチャに例えるなら、ラッキーかアンラッキーかによって、その人の人生が有利になったり不利になったりするのがいまの世の中。そうして、アンラッキーな境遇に生まれた人に、「気にするな」とか「頑張れ」って声をかけることは、そのアンラッキーさを個人で解決しなさいというメッセージにつながってしまうような気がするんです。 ――そのためには世の中がどう変わらなくてはいけないと思いますか。 本来、自分が選ぶことのできない境遇や、その境遇による不利益というのは社会が背負うべきです。社会が制度設計したり、コストをかけることによって、生まれた時の境遇が違えども、なるべく有利、不利の出にくい社会にしていく。どんなガチャが出るかは分からないけれど、どんなガチャが出たとしても選択肢がたくさんあり、自分の判断で生きていける、そういう社会に変えていかなくてはいけないのではないでしょうか。それは社会全体の責任。だから、ガチャに外れたと思っている人には、なんとかその不利がプラマイゼロになるよう、私たちが真剣に取り組んでいかなくてはいけないと思います。
――先ほど他のガチャに恵まれたとおっしゃっていましたが、これまで自分の支えになったような印象的な出来事はありますか。 2007年から3年間、杉並区の公立小学校で教員として勤めていましたが、私が担任で子どもたちに迷惑をかけていないだろうか、と常に葛藤する日々でした。毎月の避難訓練で、車いすから降りて子どもたちを安全に誘導するのは非常に難しい。学校側との話し合いで、私の補助をしてくれる先生が誘導するという取り決めになりましたが、訓練のたび自責の念に駆られていました。それでも、自分だからこそ伝えられることがあるんじゃないか、と意識して、自分なりに一生懸命、教員生活を送りました。 3年契約が終わり、私が退任する3月31日。春休みなので子どもたちは校内にいません。夕方5時になってロッカーや机の荷物をまとめて学校を去ろうというその時、職員室の窓をコンコンと叩く音が。見ると、子どもたちが笑顔で、「先生、はやくはやく!」と手招きする。校庭に出るとクラスの子どもたちと保護者のみなさんが集まってくださり、手でアーチを作って私を送り出してくれたんです。自分が担任でいいのかという葛藤を抱きながら、子どもたちと一緒に過ごしてきましたが、最後の日に、その答えをもらえた気がしました。 あの日の記憶や感情は今でも自分の支えとなっています。当然これからの人生でも、障害があることで周囲に迷惑をかけることはあると思いますけれど、それでも自分にできることをしっかり取り組み、逆に自分にしかできないことを意識しながら、それを実践すれば、必ず見てくれてる人はいるし、思いを受け取ってくれる人はいる。それが分かった気がしますし、やはり立ち返る原点になっています。