メルセデス・ベンツから供与された国賓送迎車「メルセデス 600 プルマン」でめぐるボンからボーデン湖までの旅物語
わずか2,677台の600が製造された
しかし結局は高すぎた。商業的にも「600」は大失敗だった。年間3,000台が生産される予定だった。しかし、17年間でわずか2,677台しか生産されなかった。シュトゥットガルトのメーカーは、そのうちの429台を、19世紀に鉄道用の豪華な寝室を設計したジョージ モーティマー プルマンにちなんで命名された長大な「プルマン」として納車した。 バート ゴデスベルクのライン川フェリーでは、アデナウアーがオフィスから帰宅する際に川を渡るのに使用した。プルマンは大通りを練り歩き、宮殿の前に停車するために作られた。しかし、平凡な日常生活はすぐに窮屈になった。
全長6.24メートルは、リアにカーテンを引かなければ見渡しやすい。ホイールベースが3.90メートルあるため、コーナリング半径が大きくなり、エアサスペンションを数センチ上げるオプションがあるとはいえ、スロープでは注意が必要だ。しかし、フェリーの船員は私たちに親指を立ててくれた。
バート ホネフを過ぎると道路は広くなり、交通量も落ち着いてくる。「600」はライン川と同じように雄大に流れていく。8気筒の低音エンジンが、気流のヒスノイズに静かに寄り添う。後部車軸には250馬力のパワーが供給され、その多くが800メートル(そう、その通り!)に及ぶ複雑な油圧ラインのネットワークに埋もれてしまったとしても、デビューから60年を経た今でも、3トンの車重をものともせずクルーズするに十分なパワーがある。 コブレンツのドイチェス エック、ローレライ、バッハラッハ・・・。ハインリッヒ フォン クライストが「我々の偉大な庭師は、その景観のために最大限の工夫を凝らした」と語った美しいラインガウに、私たちはすぐに到着する。そのデザインは格調高く、しかし仰々しくはない。通の間では、ホイールアーチのクロームを堂々と身につけられる唯一のメルセデスであるというのが共通見解だ。