81歳、現役心理カウンセラーの内田さん「NHKラジオ『子どもの心相談』を23年間。自宅で今も不登校の子どもたちとその家族のグループ相談会を開催」
長い人生、いつも明るい気分でいるのは難しいもの。笑顔が輝く81歳、92歳、101歳の3人の女性は、山あり谷ありの日々をどう歩んできたのでしょうか(撮影=藤澤靖子) 【写真】柔らかい笑顔が素敵な内田さん * * * * * * * ◆限界まで我慢せず早めにリセット 東京・杉並区の住宅街に、戦後すぐに建ったという古い木造の家がある。「『お祖母ちゃんの家みたい』ってよく言われます」と微笑むのは内田良子さんだ。81歳の現在も心理カウンセラーとして活動し、26年前には自宅の一角を開放して「子ども相談室 モモの部屋」を開設。不登校の子どもたちとその家族のグループ相談会を続けている。 そんな内田さんだが、小さい頃は体が弱く、「この子は20歳まで生きられないだろう」と周囲から言われていたという。 「それは悲しいというより、私にとってすごくハッピーなことでした。だって20歳から先のことは考えなくっていいんだもの。それなら、好きなことを思う存分できるじゃない、って(笑)」 自分で織った服を着て、自分で焼いた茶碗でご飯を食べて、手づくりの生活で20歳まで好きに生きようと子どもの頃は思っていたという。けれど小説を書きたいという夢が芽生えると、人間の心理を理解するために大学で心理学を学びたいと考えるようになった。
「明治生まれの父は、『女が教育を受けると生意気になる』と、姉や私の大学進学に反対でした。それを救ってくれたのが、実は『婦人公論』(笑)。母が書いた小説が『婦人公論』の第一回女流新人賞を受賞して、賞金を学費の一部にあててくれて進学できたのです」 大学では学生運動に没頭し、あまり真面目に勉強しなかったと笑う内田さん。しかし、学生運動を通じてさまざまな市民運動にも関わることで、力を持つ側ではなく、常に少数の側、弱者の立場からものを考える姿勢が身についたと振り返る。 四大卒の女性はほとんど就職先がない時代、卒業後しばらくは大学の臨時職員として働いた。やがて学生運動を通じて知り合った男性と結婚し、子どもが誕生。30代になって始めたのが総合病院で働く心理カウンセラーの仕事だった。 「病院にはお腹が痛い、頭が痛い、熱を出す、下痢をするといった症状で小児科を受診する子どもがたくさんいます。そのなかで、検査をしてもどこも悪くないという子どもが、心理室に紹介されて来ました。不調の原因はいじめや体罰が多く、学校に問題があるのではと考えるようになったのです」 振り返ってみると内田さん自身も、小学生時代は体が弱く欠席してばかりだった。自分の体調が悪くなったのは、いじめや軍隊帰りの若い教師が何かというと革のスリッパで子どもの頭を叩くのが怖かったり、嫌だったりしたからではないか。「あら、私も同じだったじゃない」。そこから、登校拒否・不登校問題と深く関わっていくことになる。 「私が働いていた27年の間に、心理室の閉鎖やスタッフの解雇といった危機が4回もありました。処分撤回を求める闘いが精一杯で、立場は非常勤のまま、収入も微々たるもの。『いつやめても結構ですよ』という態度です。こちらは働く目的がありますからね。何より、子どもとその家族の相談の場をなくしちゃいけないと思ってふんばりました」
【関連記事】
- 101歳で週6日店に立つ天川さん「気づいたら60年。夫と二人三脚で始めた中華食堂《銀華亭》。今は子どもの助けを借りて」
- 92歳、シニアチア最年長の滝野さん「父親の死をきっかけに夫と別居、アメリカ留学。未経験からやってみたい!とチアダンスチームを設立して29年」
- 25年間毎日死にたいと思っていた著者がカウンセラーとの対話でたどり着いた先は。生きる居場所を探す人へ~『死ぬまで生きる日記』【中江有里が読む】
- 高知東生「死のうと思っていた僕に、神様がくれたチャンス。小説を書いて、母から愛されていたことに気づいた」
- なぜ人はやる気がなくなるのか。心理カウンセラーが教えてくれた対処法。ショックを受けていることを認めれば、人は次に進める