軍用車であることが明暗を分けた? いくつもの不運が重なった結果なのよ……今のランクルが生まれた衝撃の事実に涙
日本が世界に誇る本格派クロカンSUV、トヨタ ランドクルーザーの登場は70年以上前に遡る。ここでは、愛車のBJ41Vでオーストラリアを取材するなど、ランクルを世界で使い、ランクルに造詣の深いフォトジャーナリスト、難波毅氏にランクルの歴史を紐解いていただいた。 【画像ギャラリー】大地あるところにランクルあり!!日本が生んだ本格派クロカンSUVトヨタ ランドクルーザーの歴史(37枚) ※本稿は2024年3月のものです 文/難波 毅、写真/ベストカー編集部、TOYOTA ほか 初出:『ベストカー』2024年4月26日号
■自衛隊からの試作要請で誕生したランドクルーザー
ランドクルーザーの誕生は今から73年前に遡る。 1951年1月、トヨタ自工はわずか8カ月間の開発期間でジープ型4輪駆動車「トヨタ・ジープBJ型」を完成させた。これは警察予備隊(現在の自衛隊)からの試作要請によるものであった。入札の結果、「三菱ジープ」が正式採用されたが、トヨタはBJ型のコンセプトに自信があった。 同年8月、このクルマは「BJ型トヨタジープ」として発表されるが、車名に「ジープ」の名があり、それがウイリスオーバーランド社の商標に触れるということで、1954年6月に「BJ型ランドクルーザー」と名称変更されたという経緯がある。
■民生用としてお客様目線の開発
警察予備隊の入札に負け、結果として民生用として生き残ることにしたことが、ランドクルーザーのその後の運命を決めた。民生用というからには、多数のライバルのなかから選んでもらわなければならない。ここからユーザー目線の改良、開発が進められていくことになった。 BJ型ランドクルーザーは誕生の経緯から、軍用車の雰囲気がかなり濃かった。そのため1955年、民生用として、さらに、将来の海外輸出まで射程に入れて、外観と機能を改良した20系が生まれた。 おりしもトヨタは乗用車の海外輸出を検討していた。サンプル輸出した20系は丈夫な足回りと卓越した悪路走破性により各地で高い評価を得ていた。 トヨタはこのクルマを尖兵として海外市場に橋頭保を築き乗用車を後に続かせようとした。「ランドクルーザー作戦」である。