窃盗事件の被害届詳しく…〈正倉院展宝物考察〉
正倉院古文書正集(しょうそういんこもんじょせいしゅう)第四巻のうち 安拝常麻呂解(あへのつねまろげ)
法務省が毎年発行する犯罪白書によると、日本における刑法犯の認知件数のうち、全体の7割近くを窃盗が占めるという。私たちがニュース等で目にするのは、そのごく一部であることからも想像がつく通り、頻度の高い事件は歴史資料にも残りにくい。1300年も前の奈良時代ともなればなおさらだ。
今回の正倉院展には、奈良時代の古文書のなかでもひときわ珍しい、窃盗事件の被害届が出展される。事件の発生は天平7年(735年)8月28日夜、被害者は平城京の左京に住む下級役人の安拝常麻呂(あへのつねまろ)。役人の正装などの衣類を中心に、13種の家財が自宅から盗まれた。常麻呂が酒を温めるのに使っていたらしい食器や、仕事に必要な弓も盗難に遭い、その形状や傷の位置などの特徴が被害届に記されている。
この被害届は、左京の行政をつかさどる左京職に提出されているが、警察組織による犯罪捜査資料として残されたものではない。というのも奈良時代には、盗まれた私物は紛失と同様の扱いを受け、基本的に自力で捜索しなければならなかったからだ。
平城京において、盗難品が見つかる可能性がある場所と言えば、左京と右京にそれぞれ置かれた公営の市場、東市と西市だったようだ。常麻呂の被害届は左京職に提出されたのち、東市を管理する役所である東市司に転送されている。
ところでこの被害届の日付は、不思議なことに盗難の発生直後ではなく、事件から3か月以上もたった閏(うるう)11月5日となっている。もしかすると、このとき盗難品が東市で発見され、本来の持ち主が常麻呂であることを証明するために、この被害届が再提出されたのかもしれない。 (奈良国立博物館研究員 樋笠逸人)