まさかの期待ハズレ…。海外クラブを“失望”させた日本人選手(4)何もしていない…。1年半でお別れ、散々だったキックの天才
近年では多くの日本人選手が海外クラブで活躍している。しかし、三笘薫や久保建英、冨安健洋のように素晴らしいパフォーマンスを披露できた選手もいれば、クラブ・サポーターの期待に応えられなかった選手もいる。今回は海外クラブを落胆させてしまった歴代日本人選手を紹介する。(※成績などのデータは『transfermarkt』を参照)
MF:名波浩(ななみ・ひろし) 生年月日:1972年11月28日 移籍失敗に終わったクラブ:ヴェネツィア(イタリア) 在籍期間:1998年7月1日~1999年12月31日 通算リーグ戦成績:24試合1ゴール3アシスト 左利きのプレーメイカーとして名を馳せた名波浩だが、イタリアの地では輝くことが出来なかった。 1995年に大卒でジュビロ磐田に加入した同選手は、その年に日本代表デビュー。ラモス瑠偉から背番号10を引き継いだ。1998年のFIFAワールドカップ(W杯)・フランス大会では中盤の主力として全試合に出場し、大会後にセリエAに所属していたヴェネツィアにレンタル移籍することが決まった。 ヴェネツィアは同選手が加入する前のシーズン、アルバロ・レコバの大活躍によってセリエA残留を決めていた。しかし、ウルグアイ代表MFはインテルからのレンタルで加入しており、その大活躍を受けてインテルに復帰。同クラブは代わりとなる攻撃的MFを求めており、白羽の矢が立ったのが名波だった。 しかしながら、同選手はクラブの期待に応えることが出来ない。記録上はリーグ戦24試合出場となっているがフル出場は少なく、守備の国イタリアが自慢とする素早い寄せを前に同選手の優れた展開力は発揮されず。磐田や日本代表でのように自らが司令塔として攻撃のタクトを振るう姿はヴェネツィアでは見られなかった。 レコバはリーグ戦19試合で10ゴール10アシストという驚異的なパフォーマンスを見せていただけに、1ゴールしか決められなかった名波が前任者の穴埋めができたとは言い難いだろう。最終的にチームは16位に沈み、セリエBに降格。チームの救世主にはなれずに磐田に復帰している。
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