江戸から東京へ続く象徴的名所―裏の視点が魅力、浅草・猥雑街の歴史的権威
東京・浅草は、外国人を含め、多くの観光客で日々にぎわっています。多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんは、江戸から東京へと継続する象徴的な名所として浅草を挙げます。 大都市・東京となっても綿々と受け継がれている浅草特有の魅力とは何でしょうか。 ----------
江戸から東京に連続する風景
葛飾北斎の絵には、人間をえぐるようなドラマ性がある。 歌川広重の絵には、心を落ち着かせるような旅情がある。 その広重の『名所江戸百景』を見ていて気がついた。 かつての江戸から現在の東京まで続く象徴的な景観がひとつあるのだ。 浅草の「雷門」(正式には風雷神門)である。 大きな赤提灯から宝蔵門(昔は仁王門)を見通すアングルは現在と変わっていない。しかし広重の描いた雪景色には、大きな赤提灯に「志ん橋」と書いてあって、現在の「雷門」と書いてあるのとは違っている。火事で焼けて、「志ん橋」(新橋の組合からの寄贈)の提灯は、浅草寺本堂(聖観音堂)に新しく吊るしてある。門も提灯も、焼けてもとどおりにつくるのが日本文化というものである。 長屋のように店舗が並ぶ仲見世は、関東大震災のあと鉄筋コンクリートで再建されたものだが、こういった規格に入った店を並べるのも浅草の特徴であろう。 ここで、江戸から東京へと継続する象徴的名所としての浅草という地域について考えたい。この街がなかったら、東京の魅力が一つ欠けたような気がするからだ。
「猥雑街」の権威
都市には必ずといっていいほど、猥雑な地区がある。 誰が見ても美しいと思う整理された地区と、人によっては眼を背けたくなるような猥雑な地区があり、その「猥雑」のない管理されすぎた都市には魅力がない。 一般に繁華街というのは、さまざまな店舗で賑わっている商業地(英語圏ではダウンタウン)を指すのであるが、綺麗なショッピングモールやグルメタウンとは切り離して、酒場、風俗、賭博、ストリップなどを含む低俗な見世物(最近はあまりない)が集まる場所がある。昔は歓楽街と呼ばれたが、今はこの言葉がピンとこない。 ここではそういったものを「猥雑街」と呼んでみたい。 主として景観上の表現だが、内容的にも猥雑で、人間の生の欲望が商取引され、法の網をかいくぐるので、いわゆるヤクザ=無法者が跳梁跋扈するのが世界の現実だ。網野善彦が『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』で書いた中世都市のアジール(権力の管理が及ばない地区)に近い感覚である。 浅草はその猥雑街の代表であり、歴史的伝統を有する、いわばその筋の権威である。