松本人志インタビュー、2つの大問題。“反省”は期待できない“松本思考”とは
「文春はデマ」と信じたいファン
そして文春報道以降、やり場のない悲しみにとらわれたファンも、「いつしか『文春はデマ、捏造』というムーブに全乗りすることで光明を見出した」と鹿島氏は指摘する。 「いや、私だってマスコミに対する不満はあります。他の人より多いくらいだと思います。 でもそれは、新聞をはじめとする既存メディアは利用する価値がまだあると考えているからこそであり、しっかりしてほしいという意味での批評や批判なのです。決して全否定ではない。 だからまとめて“マスゴミ”と呼んじゃうような『マスコミ批判』は危険だと思います。気分や感情に支配されてる部分が大きいように感じる。『私が大好きなあの人を追い込んでいるからマスゴミは潰れろ』となってしまったら、もうこの世には混乱しかない」(同書より)
2.「物的証拠がない」だけを強調するおかしさ
今回の松本人志インタビューでもう一つの問題は、裁判を取り下げた理由として、「物的証拠がない」を勝利宣言かのように挙げたことだ。 《もし落としどころを見出すならここじゃないか。そう思えたのがコメントにも出した「物的証拠」の部分だったんです。(中略) 僕からすると、今回の記事において物的証拠がないと文春サイドが認めた。》(12月25日Yahoo!ニュースより) 実際、裁判取り下げ時(11月8日)に松本側が「直接の物的証拠がない」というコメントを出した時、「物的証拠がない=証拠がない=デマ」と読み替えて、「松ちゃん勝利!」と誤解したファンが大量発生した。 だが多くの弁護士等が指摘しているように、証拠には種類があって、「物的証拠」だけでなく、証人の発言や文書記録もちゃんとした「証拠」である。特に、性加害事件では物的証拠(たとえば現場の録音や録画)は、ないことがほとんどだという。 文春側は東京地裁に約20点の証拠を提出しており、裁判取り下げ前は、誰でも閲覧することができた。 松本人志もそれを知っているはずなのに、あえて勝利に見えるような「物的証拠がない」だけを強調したのだろうか?