やや細長い画面・縦書きの署名…ジャポニスムに親しんだモーリス・ドニ、その絵を見た黒田清輝
美術交流史の視点からフランスの画家、モーリス・ドニ(1870~1943年)を紹介する展覧会「日本が見たドニ-ドニの見た日本」が久留米市美術館で開かれている。 青木繁「海の幸」を模した緞帳の一部が修復され、展示が始まったタペストリー(2022年)
ほの暗い色調の中、青白い顔をした女性が立つ「夕映えの中のマルト」。ドニが画壇デビュー間もない1892年、無審査のアンデパンダン展に出品した。前衛的な画家の一人として、世紀末の不安や苦悩といった見えないものを表現した象徴主義的な作品だ。
やや細長い画面や、縦書きの署名は、掛け軸など日本美術の影響とみられている。ドニの世代は若い頃から、欧州で流行したジャポニスム(日本趣味)に親しんでいた。
この作品を当時会場で見たのが、仏留学中の黒田清輝だった。黒田は後に、この時見たドニの別作品と同様の構図で習作を描いている。
帰国後の黒田は伝統的な洋画の基礎を作り、広める一方で、発表の場として洋画団体「白馬会」を結成。そこで、1903年、初回の白馬賞(最高賞)に青木繁を選んだ。黒田は、留学経験のない青木の絵画表現の中に、世紀末の西洋の新しい美術と伝統的な日本美術の融合を感じ取り、「理想という点で面白い現象」と高く評価したのだった。
ドニは、シンプルな輪郭線で色面を区切り、装飾的な画面を描いた。佐々木奈美子学芸課長は「黒田たちが、ドニらの新傾向の絵画を目にして帰国したことは、その後の日本洋画が伝統とデザイン性とを共存させながら豊かに展開するための素地を作ることにつながった」と解説する。
会場に展示されている青木の「温泉」(1910年)にも、たたずむ裸婦の背景のタイルやつぼに、デザイン性が取り込まれている。
ゴーギャンやルノワール、直接教えを受けた梅原龍三郎といった画家たちの作品とともにドニの画業を約130点でたどる。12月10日から一部展示替えを行う。来年1月13日まで。(白石知子)