本郷和人『光る君へ』なぜ平安貴族は庶民に向き合わないまま、優雅に暮らすことができたの?その理由は単純に…
◆敵がいるということ そこでお隣の中国を見てみれば、常に強大な敵と向き合ってきました。 敵の代表は北方の騎馬民族。彼らの襲撃を防ぐために築かれたのが、万里の長城です。 ところが騎馬民族は精強で、長城をものともせずに南下しては土地や人、財産を奪っていく。ときには漢民族の国そのものまで滅ぼしてしまった。 そこで漢民族国家の支配者層は考えます。 強敵に対応するためには、才能の抜擢が不可欠だ。そのために、全国統一のセンター試験を実施することで人材を見つけ、彼らを官僚として国政を担当させよう。そして、その官僚による様々な施策を通じて国を豊かにし、人口を増やして軍隊を強くしよう、と。 そして実際に軍隊を強化し、投入することで、国防を行ったわけです。
◆外国の脅威を忘れることができた日本 こうした事情を踏まえた上で、日本についてあらためて考えてみましょう。 日本は島国でした。だから敵が攻めてこない。 いや、実際には攻めてくる外国はあったのです。でも陸続きではなかったので、とりあえず忘れることができた。 東アジアとの交流が盛んだった奈良時代や平安時代初期までは、国防は朝廷における重大な関心事でした。しかし、中国の勢力も、朝鮮の王国もなかなか攻めてこなかった。 それで遣唐使が派遣されなくなるころ、朝廷は「外国に攻められたらどうしよう」という恐れをほぼ捨て去ってしまったーー。 それこそが、貴族が民衆に関心を寄せる必要がなくなった理由です。
◆いわゆる「コップの中の嵐」 民主主義を選択した現在、日本政府は国民に対して責任を持ちます。国民の生活を良いものにしなければ、選挙を通じて、政府のありようは否定される。 ですから、政治家は民衆に向き合わねばならない。たとえそれが選挙の時だけだったり、表面的なものにすぎなかったりしても。 翻って、平安時代の朝廷は民主主義ではない。そのうえ、外国が攻めてこなければ、強い軍隊もいらないのですから、結果として、政が民の生活を豊かに保つという方向にも向きにくくなります。 とすると、行政の質は考えなくていいし、才能を自身の存在理由とする官僚も不要です。天皇を守る盾としては、世襲の貴族がいれば十分。ちなみに世襲のメリットとは、「裏切り者」がでにくいということ。 地位を上げたいがために、政争は常に生じます。でも庶民に比べると、それは「恵まれた者」と「恵まれた者」との抗争、いわゆる「コップの中の嵐」に過ぎず、社会にパラダイムシフトを引き起こすようなものには到底なりえないのです。 整理すれば、生存をかけるような厳しい争いがない。それが平安時代の貴族社会でした。彼らは総人口1000万人のうちのわずか500人にすぎず、自分たちが豊かに暮らせればそれでよかった。 実際に史実を追っても、彼ら平安貴族の中からは「民衆を豊かにすることで、自分たちのもとに収められる税を安定して増大させる」といった初歩的なアイデアすら、ほとんど生まれていなかったようです。 ですので、民主主義の世界にいる私たちが「政治とは民を豊かにするものではないのか!」とか「貴族なんだから、もう少し政治に身を入れたらどうか!」といった批判をするのは、お門違い。 ステーキ屋さんで蕎麦を注文するような行為である、ということになるでしょう。
本郷和人
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