日英合作映画『コットンテール』に主演のリリー・フランキーが考える“孤独”と“コミュニケーション”
渡邊 玲子
イギリス有数のリゾート地として知られるイングランド北西部の湖水地方。映画『コットンテール』はこの風光明媚な土地を舞台に、日英共同で製作された。監督は日本映画をこよなく愛し、日本に留学経験もあるイギリス人のパトリック・ディキンソン。初の長編劇映画で、壊れかけた家族の愛と再生の軌跡を紡ぎ上げた。亡き妻の願いを叶えるために、疎遠になっていた息子一家と共に旅に出る男の物語。主人公の兼三郎を演じたリリー・フランキーに、撮影の舞台裏や作品のテーマについて聞いた。
映画『コットンテール』は、60代の作家が亡き妻に導かれるようにして向かった鎮魂の旅の果てに、人生における大切なことや大切な人と向き合っていく姿を、イギリス北西部の美しい田園風景を舞台に綴ったヒューマンドラマだ。 大島兼三郎(けんざぶろう=リリー・フランキー)の最愛の妻・明子(木村多江)は若年性アルツハイマーを患い、つらい闘病生活の末に息を引き取った。彼女は生前、寺の住職に一通の手紙を託していた。それは夫に宛てて「遺灰をイギリスのウィンダミア湖にまいてほしい」と書かれた遺言だった。兼三郎は妻の願いを叶えるため、長らく疎遠だった息子の慧(とし=錦戸亮)、その妻さつき(高梨臨)、4歳の孫娘エミと共に、いまだ拭えぬ喪失感を抱えたまま、ロンドンに降り立つ。 しかし、昔から互いにわだかまりを抱えていた父子は、旅先でも事あるごとに衝突。売り言葉に買い言葉で、兼三郎は単身ロンドンから湖水地方に向かうことになってしまう。列車を乗り間違えた挙句、どこまでも広がる田園地帯で道に迷い、途方に暮れる兼三郎。 偶然たどり着いた一軒家に暮らす初老の農場主ジョン(キアラン・ハインズ)と娘メアリー(イーファ・ハインズ)に助けられ、目的地のウィンダミア湖で無事に息子一家と落ち合うことができた。だが父子には、一枚の古い写真を手がかりに、「明子の遺骨をまくべき場所を探す」という使命が残されていた。果たして、二人は明子の本当の望みを叶えることができるのか――。 監督のパトリック・ディキンソンは、母親の影響で幼い頃から映画に親しみ、思春期には溝口健二、小津安二郎、大島渚、伊丹十三といった監督の作品に夢中になった。その後、オックスフォード大学と早稲田大学で日本映画を学び、故ドナルド・リチー氏に指導を仰いだこともある。本作には、日本とイギリスにおける監督自身の個人的な体験も反映されている。 イギリス人の母とアイルランド人の父との間に生まれ育った監督の、父との思い出や悔恨が詰まったストーリー。リリーが脚本を読んだのは今から4年以上前のことだ。「国や文化が違えどもみんな問題を抱えているんだ」と気づき、「何だか世界が近くに感じられた」という。 「イギリス人の書いた脚本だけど、他人事ではないなって。この映画で兼三郎や慧が直面している介護の問題や家庭内のいさかいは、現代社会の新たなスタンダードだと思ったんです。先進国ではどこも少子高齢化や核家族化が進んでいるし、医学が発達して寿命が延びたせいで、日本でもイギリスでも “8050問題”のようなことが起きている。『コットンテール』は10年前くらいから温めてきた企画らしいので、監督はすごく若い時から、この問題を気にしていたということなんでしょうね」 撮影は2021年夏、コロナ禍真っただ中の東京とイギリスで進められた。日英合作映画ではあるが、製作スタッフは国際色に富んでいて、「洋画に参加した感じが強かった」と話すリリー。ディキンソン監督の脚本や演出、撮影方法に、日本人とは異なる感性を感じ取ったという。誰もが共感する普遍的なテーマでありながら、外国人の目から見た日本人の家族の話が新鮮に映ったようだ。 「息子がお父さんともっと話をしたかった、というのは日本の家族関係にはなかなかない感覚というか。たとえ心の中でそう思っていたとしても、男同士だと特に口には出さないですよね。ほかにも日本人が観たら、あれっと思うかもしれないところはあった。僕にはそういうところが新鮮で、面白く感じられました」 現場での監督については、回想シーンにはレールを使い、現在のシーンを手持ちで、と撮影方法を使い分けたことなどに触れ、こう振り返る。 「出来上がった映画を観たら、全体的にとてもライブ感のある作品に仕上がっていた。脚本から僕がイメージしていたものとは、いい意味で違うものではあったけれど、少し説明的すぎると思われるシーンに至っては、すべて見事にカットされていて。潔くて才能のある監督だなと感じましたね」