夫婦で第二の人生を 元ホークス・田之上慶三郎さんの笑顔が迎えるカフェ/福岡県糸島市
福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークスの投手として活躍した田之上慶三郎さん(52)は、ホークスのコーチを昨秋で退き、カフェのマスターとして接客の世界に飛び込んだ。決断の背景には、妻の真喜子さん(54)に寄り添い、支えたいとの思いがあったそうだ。福岡県糸島市のJR筑前前原駅そば、カフェ「itoshimacco(いとしまっこ)」で夫人とともに第二の人生を歩み始めた田之上さんを訪ねた。 【写真】楽しく二人三脚で!
今度は自分が支える番だ
田之上さんは1989年、指宿商高(鹿児島県)からドラフト外でダイエーに入団した。厳しいプロの世界では二軍のマウンドに立つのも難しく、「戦力外通告」という言葉が何度も脳裏をよぎったという。一軍での初登板は7年目の1996年。オリックスのリーグ優勝が決まったあとの消化試合だった。 初勝利はその翌年。地道に努力を重ねた遅咲きの右腕は、チームの大黒柱に成長していく。2001年には13勝7敗で最高勝率のタイトルを獲得。オフには推定年俸1億円で契約を更改し、02年には開幕投手の重責を担った。
2007年に現役を引退してもユニホームを脱ぐことはなく、ソフトバンク、日本ハムで計16年、コーチを務めた。「こんなに長くやらせてもらったのは奇跡です」――。「一身上の都合」により昨秋、34年にわたるプロ野球生活にピリオドを打った。
一身上の都合とは、22年末に真喜子さんが倒れたことだった。実家は1897年(明治30年)から続く老舗婦人服店で、親族の病など事情が重なり、真喜子さんが経営を引き継いでいた。新たな顧客を開拓していく必要もあり、くつろげるカフェや地元特産品の販売コーナーを設ける作業を進めている最中だった。 「昔からのお店を私が守らないと」。寝る間を削って無理を重ね、救急搬送された真喜子さんは、年末年始を病院のベッドの上で過ごすことに。この”事件”をきっかけに、「野球のことばかり考えていた」という田之上さんの意識が大きく変わった。