【ネタバレなし】『陰陽師0』で奈緒演じる徽子女王。その生涯は『源氏物語』最大のダークヒロイン<六条御息所>のモデルに…「報われない愛」を抱えた人生、その後
俳優・山崎賢人(崎=たつさき)さんが主演する映画『陰陽師0(ゼロ)』が、4月19日より全国で公開されます。その公開にあたり、3月には佐藤嗣麻子監督と原作者の夢枕獏先生が、同作のヒロイン・徽子女王とゆかりのある三重県立斎宮歴史博物館を訪問しました。そこで今回、同館で学芸員を務める日本史学者の榎村寛之先生に、徽子女王についてあらためて解説をいただきました。 【写真】『陰陽師0』にて徽子女王を演じる奈緒さん * * * * * * * ◆女御となったのちの徽子女王について ここまでの記事にも記しましたが、『陰陽師0』公開にあたっては、全国のゆかりの地で試写会が行われました。 私が学芸員を務める斎宮歴史博物館のある、三重県多気郡明和町もその地の一つということで、「109シネマズ明和」で試写会が行われ、私も参加する機会に恵まれました。 試写会での舞台挨拶の前には、佐藤嗣麻子監督と夢枕獏先生が、斎王の宮殿の遺跡・国史跡斎宮跡と、私が学芸員を務める斎宮歴史博物館を訪問されました。 斎宮歴史博物館は、斎宮跡の発掘の成果を公開する施設で、映画で奈緒さん演じる斎王徽子女王と縁が深い地でもあります。 そこで引き続き徽子女王、特に女御となった後の生涯について、映画のネタバレにならない程度に解説したいと思います。 *今回の3回目で徽子女王について触れる内容は最終回となります。
◆やがて内裏を下り 徽子女王の女御としての20年にわたる日々は、決して幸せなものではありませんでした。 娘の規子内親王と皇子を儲けましたが、皇子はすぐに死亡。一方、母方の従姉の“ライバル女御”藤原安子は冷泉、円融天皇になる皇子に恵まれ、中宮になりました。 また、母が亡くなった後の、父の重明親王の継室(後妻になった正室)で安子の妹・藤原登子が親王の死後に村上の後宮に出仕。天皇の寵愛を受けたのも、徽子には不幸なことでした。 やがて徽子は内裏を下り、自邸(もとの重明親王の邸)に籠ることが多くなります。そして康保四年(967)に村上天皇は在位のまま亡くなりました。 その後、徽子は娘の規子とともに自邸でサロンを開き、歌合などを催していたようなのですが、天延三年(975)に事態は一変します。円融天皇の斎宮(伊勢斎王)だった隆子女王が、斎宮で急死したのです。
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