【ネタバレなし】『陰陽師0』で奈緒演じる徽子女王。その生涯は『源氏物語』最大のダークヒロイン<六条御息所>のモデルに…「報われない愛」を抱えた人生、その後
◆再び伊勢へ 斎宮が伊勢で死去したのは斎王制度始まって以来のことで、宮廷では大きな騒ぎになりました。 斎宮は天皇と伊勢神宮を取り持つ役目。それが死という最悪のケガレに襲われたのですから、伊勢神宮の神、天照大神の怒りに触れたと信じられ、すぐに次の斎宮を、慎重に選ぶ必要がありました。 こうして規子内親王に白羽の矢が立ったのです。規子27歳。天皇の異母姉が斎宮になるというのは異例のことで、そこには斎宮女御の娘だったからという選択肢が働いたと考えられます。 まさに異常状態下。そして徽子はある決断をしていました。 私も伊勢に行く。 彼女は、嵯峨の野宮(斎王が潔斎する仮宮)に同行しています。彼女に関わる歌人たちも野宮を訪れ、歌会を催す華やかな日もあったようです。 そして規子内親王の群行(斎王が伊勢に赴任すること)に合わせて、徽子は「旅を控えよ」という円融天皇の命令を無視して再び伊勢への旅路についたのです。叛逆と取られかねない選択でした。
◆歌に隠された「恨み」 「世にふればまたも越えけり鈴鹿山昔の今になるにやあるらん」 (生き長らえて、再び越えた鈴鹿山。昔が今によみがえったような) 彼女が近江と伊勢の境、鈴鹿峠を越えた時の歌です。徽子は緊張に包まれたあの日々を思い出しながら斎王の宮殿、斎宮に向かったのです。 この歌は、『伊勢物語』第三十二段の 「いにしへのしづの苧環繰り返し昔を今になすよしもがな」 (昔々の織物に使った糸玉から糸を繰り出すように、二人の過去を今に戻したいのだけど) を踏まえたもので、彼女が『伊勢物語』の早い時期の読者だったこともわかります。彼女の伊勢への再訪は、斎宮に文学サロンを花開かせました。 「大淀の浦たつ波のかへらずは変はらぬ松の色をみましや」 (大淀の浦に立つ波のようにここに帰ってこなければ、松の緑が全く変わっていいない様を見ることがあったでしょうか) この歌は、娘の斎王が斎宮近くの「大淀の浦」で、伊勢神宮を参拝する前月に行う海の禊の儀で詠んだものです。斎王の祭祀は滞りなく、伊勢が常葉の松のように何も変わっていない、この知らせは都に届き、宮廷を安堵させた事でしょう。 しかしこの歌は、伊勢物語の第七十二段 「大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる浪かな」 (大淀の松のように待つことは辛い事ではないけれど、あなたは浪のように浦をみては帰るばかり、それは恨みます) を踏まえています。この歌には「恨み」が隠されており、彼女の宮廷時代への屈折した思いが隠されているようです。宮廷で満たされなかった彼女の想いは、再訪した斎宮で果たされたのでしょうか。
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