プロ不合格に幻の長嶋内閣入り。“日本一”栗山監督を作った2つの転機
片岡氏の印象に残っている“相談”は、5年前の日ハムの監督就任ではなかった。長嶋茂雄氏が巨人監督時代に、巨人コーチ就任の話があったというのだ。 「何年だったかは忘れたが、長嶋さんが2度目の巨人監督時代に、栗山にコーチとしての入閣打診があったんだ。“長嶋さんから話があったんですが、どうしたらいいと思いますか?”と相談の電話があった。“何事も勉強、好きなようにすればいい。ただ、巨人は外様の人間には厳しいぞ。おまえが考えていることはできないかもしれんぞ”という話をした。結局、栗山の巨人コーチは実現しなかったな。まだ指導者としての勉強が足りないと断ったのか、巨人の内部事情だったか、詳しい理由は知らないが、今考えてみるとそれでよかったのかもしれないな」 長嶋内閣入りは幻に終わったが、日ハム監督就任時にも連絡があり、片岡氏も祝福したという。 「栗山の長所は、真面目さと、我慢強さだろう。中田が凡打を重ねたときでも、嫌な顔ひとつ見せずに4番で使い続けた。なかなかああいう態度を若い指揮官がとれるものじゃない。ソフトバンクの工藤なんか、負けてくるともろに行動や顔に出ていた。 栗山は苦労して努力してきた人間。スーパースターじゃなかったからこそ、彼が持ちえた強さや、国立大出の頭で解説者時代に勉強してきた知識が、監督として生きている。おそらく今後、監督を辞めたあとも、日ハムのフロントとして力を発揮していくんだろうけど、新しいスタイルの名将となるかもしれんな」 指導者経験のないまま日ハムの監督に就任した栗山監督は、5年で2度のリーグ制覇を果たして、ついに日本一監督にまでのぼりつめた。選手への気遣い、相手チームへのリスペクト、そして何より野球への愛を欠かさない情熱家。ノムさんに馬鹿にされたが、選手のインタビューを聞き、本気の涙を流せる純な人はそうはいないだろう。 そういう思いやりの人は、ときに優しさが裏目に出るものだが、冷酷な選手起用、ときには大胆にスピーディーな決断もできる。勝負勘もあり、先を読みながらの中長期マネジメントもできる。シーズン中の斎藤佑樹への過剰とも言える特別扱いにだけは「?」が残るが、1983年のプロテスト不合格に、長嶋巨人への幻の入閣問題など、“野球人”としての数多くの人生転機が礎となり、片岡氏が言うように新しいタイプの「監督・栗山」が作りあげられたのかもしれない。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)