【プーチン登場前夜】氷点下20度の中で食べ物や家財道具を売って糊口をしのぐ老人たち 道端には息絶えた人々も ソ連崩壊後のロシアを襲った地獄の90年代
2024年3月20日、黒川信雄著『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』(ウェッジ)が発刊されます。産経新聞元モスクワ特派員の筆者が、開戦後のウクライナとロシア双方に渡り、人々の本音に迫ったノンフィクションです。 発刊に際し、第二章『制裁下のモスクワへ』を、全6回の連載にて全文公開いたします。 連載第1回はこちらから ウクライナ人を「彼らはずっと、ナチズムだった」とロシアの小学校教員が真顔で語ったように、多くのロシア人との会話の中で感じたのは、ウクライナ人に対する差別意識ともいえるゆがんだ認識だった。 そのような認識は、時に荒唐無稽としか言いようがないデマをロシア人に信じ込ませていた。 「ウクライナでは〝死んだロシア人の子供の肉〟っていう料理が、レストランで出されていたんだよ。テレビで見たから間違いない。本当に恐ろしい話だ……」 モスクワの日本企業で社用車を運転しているという70代のロシア人男性は、私が「ウクライナとの戦争について調べている」と説明すると、神妙な表情で語ってきた。 彼は本当に、その話を疑問にも思っていない様子だった。 彼の発言に根拠があるかを知人のロシア人の手も借りて入念に調べたが、何も見つからなかった。仮に男性が本当にテレビで見たのだとしても、その後インターネットのニュースにすらならない根拠のない情報だったということだ。そのような料理がまともに提供されるはずもなければ、一般の人々が受け入れる理由もない。 ロシアでは大衆紙やインターネット上で、ウクライナに対する理解に苦しむ批判が飛び交っているが、特にウクライナ人が非人道的であると強調する内容が多い。 戦時中、敵国の市民を人間扱いせずに〝鬼畜〟などとのイメージを刷り込むことは常に行われるが、多くのロシアの人々も、そのような情報に繰り返し触れるなか、次第に信じ込むようになっていると感じられた。それがまた、今回の戦争を多くのロシア人が実際に支持することの理由になっていた。