松本サリン事件から30年「みんな敵に見えた」「オウムも警察もメディアも同罪」疑惑を持たれた河野義行氏の苦悩とメディアの責任
河野さんへの謝罪
教団への立件を受けて、新聞、テレビ各社は6月にかけて河野さんに対する犯人視報道を紙面や放送で謝罪した。 「警察として河野さんに関わる疑問点をつぶす捜査を続けていて時間がかかった面はあります。ただ本来はもっと早く謝罪すべきでした」 そして6月19日、野中広務国家公安委員長(当時)が河野さんと面会して謝罪し、その後、長野県警も謝罪した。 松本サリン事件や地下鉄サリン事件の被害者の検診などのサポートにあたっているNPO法人R・S・C(リカバリー・サポート・センター)の山城洋子事務局長は長年、被害者と向き合い、河野さんとも親交がある。 「河野さんとはNPO主催の松本サリンと地下鉄サリン事件の被害者が集うイベントで親しくなり、その後、NPOの理事になってもらい、会議でも顔をあわせました」 「妻の澄子さんのお見舞いにもご一緒して、河野さんが愛情を持って接する姿を見てきました」(澄子さんは14年間意識が戻らないまま、2008年に亡くなった) このNPOは坂本弁護士一家の救出活動(後にオウム真理教による殺害が判明)などに携わってきた木村晋介弁護士が立ち上げ、松本サリン・地下鉄サリン事件の被害者の無料検診などの活動に長年あたり、2001年から昨年までの23年間だけでも延べ2377人が受診している。 サリン中毒では眼の瞳孔が収縮する縮瞳による視力の低下や頭痛、めまい、疲れやすいなどの訴えが多い。NPOでは事件後から毎年アンケートを続けている。 「検診や広報誌を通じてサリン被害者の健康面の支援をしてきました。今も後遺症だけでなく、精神的なダメージを受けている人たちも多くいます」 後遺症が改善しない中で、鍼灸の専門医によるセルフケアの講習やアロマセラピストによるハンドマッサージなど取り入れ、参加者も喜んでいるという。
怖くて地下鉄に乗れない人も
「被害にあった事件は同じでも、本当にひとりひとりの思いが違います。事件と折り合いをつける人もいるし、未だに事件を思い出したくない、怖くて地下鉄に乗れないという人もいます。被害者としてひとくくりにはできないのです」 山城さんには家族ぐるみで連絡をとっている被害者もいるが、受診者の減少や高齢化、新型コロナの影響、またボランティアスタッフの確保も困難となり、検診は昨年で終了した。 事件から30年を経て、「若い医師はサリン事件を知らない世代も多いので、これからは被害者の皆さんにこういう後遺症があるということを医師らに伝えていってほしいと思っています」 山城さんには河野さんとの会話の中で忘れられない言葉がある。 「河野さんから『一度クロとされてあの人がやったと言われたら、何年たっても変わらない、シロにはならないんだよね』と」 「この言葉は心に刺さりました。河野さんだけの問題ではない、加害者扱いされることの残酷さを感じました」 坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など数々の凶悪事件が立件され、2018年7月、松本元死刑囚ら幹部13人の死刑が執行された。 死刑執行直前の5月、河野さんはインタビューでこう話していた。 「事件発生当初、自分が容疑者のような報道をされて、自分が知っている人以外はみんな敵に見えました。警察の逮捕を恐れながらひとつひとつ手を打っていく、そして妻の看病をする最初の1年が最も長くて辛い時期でした」 「殺人者の妻になれば意識不明のまま居場所がなくなる。そうなってはいけないと」 「(教団や松本元死刑囚への思いは?)刑の執行を受けたことになれば罪を償ったということ。リセットされたわけだからその人や家族に辛い思いはさせたくありません」 そしてメディアや警察の責任についても語った。 「事件を起こしたオウム真理教、世間からのバッシングを招いた間違った報道、そして犯人扱いした警察。私からみればこの三者は同罪です」 取り調べの適正化や共同取材による取材される側の負担軽減など進展もあるが、変わっていないところも多いと指摘した。 「事件がおきた時、サリンは素人でも作れる、バケツでもできるという専門家もいました」 そしてメディアや警察も含めて「プロとして仕事をしてほしい」と訴えた。 メディアは事件や社会問題などをどう伝えているのか。果たしてそれは事実なのか、真実なのか。一過性の報道で終わっていないのか。人々のために役にたっているのか。 松本サリン事件は立ち止まって考えなければいけない多くの課題を30年の時を経ても突きつけている。
青木良樹
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