松本サリン事件から30年「みんな敵に見えた」「オウムも警察もメディアも同罪」疑惑を持たれた河野義行氏の苦悩とメディアの責任
捜査線上にオウム真理教浮上
一方で警察は現場からサリンが検出されたことで、サリンの原料となる物質の流通ルートの内偵捜査にあたり、この年の秋にはオウム真理教が大量の化学物質を購入していることを把握した。 そしてサティアンと呼ばれる多くの実験施設や居住施設がある山梨県上九一色村(当時)の教団施設で異臭騒ぎが起き、周辺の土壌からはサリンの残留物質が検出された。 当時、警察庁捜査1課理事官として複数の県で発生していたオウム真理教が関連する事件やトラブルの捜査の指導や調整にあたり、その後、公安調査庁部長や静岡県警本部長などを務めた安村隆司氏に聞いた。 「サリンの流通ルートの捜査でオウム真理教の存在が分かり、サリンの残留物が見つかったことで、捜査はオウム真理教に絞られました。教団が関連する事件やトラブルがあった長野、山梨、神奈川、熊本などの各県警と連携して捜査にあたりましたが、松本サリン事件がオウム真理教の犯行と断定できる証拠と強制捜査の端緒となる事件がなく難航しました」 翌95年2月、都内で信者の兄だった男性の監禁致死事件が発生し、警視庁が本格捜査に乗り出したが、3月20日に地下鉄サリン事件が発生、死者14人、重軽傷者およそ6300人の大惨事となった。 警視庁などは2日後の3月22日、上九一色村や都内の教団施設などを一斉捜索し、5月に教祖の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚を逮捕し、教団幹部も続々と逮捕された。 そして松本サリン事件は教団の松本支部建設をめぐる裁判の判決を妨害するために、現場近くの裁判官官舎を狙った犯行と分かり、7月に松本サリン事件の殺人容疑でも松本元死刑囚らが逮捕されたが、すでに事件発生から1年が過ぎていた。 「オウム真理教の捜査の難しさは、これまで警察が経験してきた事件とはまったく違ったことです。信者を洗脳して、サリンを使って国家を転覆させようとする。我々の常識を外れていました。さらに言えば宗教法人だったことです。彼らもそれを盾に取っていて、捜査の現場にも躊躇したところがありました」
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