【アイスホッケー】「アイスホッケーを続ける」ということ。
「アイスホッケーを始めたのが小学6年。 小学生低学年クラスで練習していました」
大学や高校で、この春を限りに競技にいったん区切りをつける。そんな人がおそらく、全国には数多いるのだろう。東京女子体育大学アイスホッケー部のキャプテンであり、専修大学アイスホッケー部のトレーナー・髙橋桃さんもその1人だ。 アジアリーグで表彰を受ける裕一さんと花束を贈る桃さん。4月から桃さんは、審判員の道を歩んでいく 生まれたのは埼玉県所沢市。小学校6年の時に、東大和ジュニア(東京)でホッケーを始めた。お父さんは日本リーグや関東大学リーグ(東京都大学リーグ)で審判員をやっていた、髙橋裕一さん(専修大学監督)。桃さんにとってスケートは小さいころから身近な存在だったが、「アイスホッケーの選手」として自分がリンクに立つという想像がつかなかったという。 小学生時代はスイミングスクールに通い、中学と高校は部活動で陸上を選んだ。長距離走と砲丸投げ、中学ではそれにプラスして駅伝部も所属した。 夜の7時くらいに陸上の部活を終え、それから週2回、ホッケーの練習へ。中学生では部活動以外に硬式テニスもやっていたから、テニスの練習があるときはまず東大和のテニスコートに行き、夜の9時からは隣のアイスアリーナと分刻みで動いていた。 「陸上とテニスとアイスホッケー。忙しかったといえば忙しかったですけど、せっかくだからどれも続けていきたい…そう思ったんです。ホッケーをやめようと思ったことですか? それはこの11年間で一度もなかったと思います」 アイスホッケーは前述の通り小学6年生で始めたから、ほかの子に比べると遅めのデビューだった。「同い年の子がバリバリやっていて、でも私は中学1年までは同学年の子と練習できずに、小学校の低学年クラスと練習していました。早く追いつきたいな…。最初のころはそればかり思っていましたね」
自分以外の誰かが点を決めたとしても、 喜び合えるのがアイスホッケーの良さ
高校に進学すると、社会人・学生が主体のクイーンベアーズ(現トゥウィーディアクレスト)に籍を置いた。東京のジュニアには、高校生以上の女の子が入れるコースがなかったのだ。 年末に女子の中学・高校生を集めて行われる「日光杯」で、桃さんは「東京都選抜」に選ばれる。そこで初めて、大学チームのリクルーティングを受けた。東京女子体育大学に誘われたのだ。 東女体大は1998年から2008年まで「大学女子大会」で11年連続優勝。2013年に大会名が「日本学生女子大会」と改変され、そこでも2014年と翌2015年に2連覇している伝統のチームだ。 「それまで学校のチームでプレーしたことが一度もなかったんです。大学の名前の入ったユニフォームで、一度は部活動でホッケーしてみるのもいいかなって」 大学に入っても、桃さんは忙しい毎日を送った。授業とアイスホッケーのほかに、教職を選択。それだけでなく、お父さんの率いる専修大学のトレーナーも受け持った。 「専修のトレーナーを始めたのが高校2年から。最初のうちは、監督の娘ということもあって頼みづらいという選手も多かったのではないかと思います。でも年ごとに、選手に頼りにしてもらえた。年上の人も、後輩の子でも、ここが痛むんだけどどうしたらいいだろうと相談してくれるようになったんです。単に試合を見に行くんじゃなくて、一歩進んで選手をサポートしているんだと感じられた。それは本当にうれしいことでした」 東女体大では、4年生でチームのキャプテンを任された。去年11月、沖縄で行われた日本学生女子大会。東女体大は日体大に2-5で敗れたが、桃さんにとっては思い出に残る「準優勝」だった。 「歴史は東女体大のほうがあるんですけど、日体大の女子が創部してからは、日体がずっと1位。日体はホッケー経験者がほとんどで、試合は10点差がついて負けるのが当たり前だったんです。でも、この大会はウチが先制点をとった。試合は逆転で負けてしまったんですけど、最後までわからない、いいゲームができたんです。東女体大は5人のホッケー経験者がいて、15人くらいが初心者なんですが、コロナでも下級生が入部してくれて日体と互角にやれるまでの力をつけた。ウチの部の誇りです」 「思えば、小学生の時から水泳、陸上、テニスと個人種目ばかりやってきたんです。個人競技は自分の頑張りを評価される部分もあるんですけど、アイスホッケーは、自分以外の誰かが得点を決めても喜び合える。それを理解できたのは、自分にとって大きかったと思っているんです」