トヨタ“国民的コンパクトカー”「パブリカ」復活!? 車名“申請”で新型「最安価モデル」に期待高まる! 丁度良さそうな「新型パブリカ」が登場するのはいつなのか?
トヨタのエントリーコンパクトモデルは「パブリカ」の名で復活する!?
2024年11月、特許庁が公開したトヨタの商標出願のひとつに「PUBLICA(パブリカ)」の名前が挙がっていました。 戦後間もない時期に誕生したパブリカは、経済復興を支えたモデルですが、SNSを中心に「車名が復活するのか!?」と話題になりました。 【画像】「えっ…!」これがトヨタの「“国民的”コンパクトカー」です!(30枚以上)
「商標」とはネーミングやマーク(識別標識)のことを指し、自動車ならば車名やロゴが相当します。 特許庁に出願し、認められると商標権が発生。登録された商標は法的に守られ、例えば同名の自動車や酷似したマークは、他の自動車メーカーは使用できなくなります。 さて今回出願されたパブリカですが、戦後の経済復興が進む中でトヨタが販売した小型大衆車で、今でいうコンパクトカーに相当します。 1955年、当時の通商産業省より発表された「国民車育成要綱案(国民車構想)」に触発され開発がはじまりました。 国民車構想の実現自体は難しかったものの、その後トヨタが独自に描いた構想に沿ってパブリカは誕生しています。 まだ自動車がとても高価で、裕福な人しか所有できない時代にあって、当時の社会人でも手の届く38.9万円という低価格を実現しました。 パブリカという名前は「PUBLIC(パブリック)」と「CAR」の合成語で、「国民から愛される自動車」という意味があります。一般から募集し、110万通近い応募の中から選ばれました。 1961年、初代パブリカは発売を開始。軽量な空冷の水平対向2気筒を搭載したFR車で、車重は580kgとクラストップレベルの軽さを有します。 1969年にモデルチェンジを敢行。日本は高度経済成長期にあり、初代が発売された頃とは大きく環境が変化していました。 時代に合わせて、2代目パブリカは大衆車だった位置づけを上級モデルに変更。ボディサイズは一回り大きくなり、標準グレードのほかに高性能エンジンを搭載したスポーティグレードや豪華グレードを設定しました。 1978年、スターレットに後進の道を譲る形で、乗用モデルの販売は終了。商用モデルは継続して販売され、1988年に販売を終えます。 長くクルマに乗られている方なら、懐かしいであろうパブリカのネーミング。この11月に公開された商標出願は商標権継続(商標権は10年で終了しますが、更新することで引き続き継続できます)のためと思われます。 しかしトヨタのラインアップから「パッソ」が消え、購入しやすいエントリーカーのポジションが空白となっている現状、パブリカの復活もまんざら絵空事ではないかもしれません。 なお2代目パブリカはダイハツにOEM供給されましたが、その後1998年に登場したダイハツのコンパクトカー「ストーリア」が、逆にトヨタへ「デュエット」の名でOEM供給されています。 そしてストーリアの後継車として2004年に誕生したダイハツ「ブーン」とトヨタ版のパッソは、2社による共同開発モデルとなりました。 パッソは「プチトヨタ」のキャッチフレーズで親しまれ、当時のトヨタ最小モデルとして人気を博します。 その後2016年に登場した3代目からはダイハツ主体の開発となり、2023年に販売を終了しています。 噂によると4代目、もしくは後継車もダイハツにて開発中だったそうですが、認証申請における不正行為により計画はお蔵入りになったといわれています。 それまでパッソが担っていた購入しやすいエントリーカーのポジションはとりわけ重要で、トヨタはパッソに代わるモデルとして、新型「スターレット」を開発しているとの噂も出ています。 2代目パブリカには「パブリカ・スターレット」というスポーツグレードが設定されており、スターレットとは親しい間柄。そしてスターレットには、スポーティというイメージがあります。 新しく登場するエントリーカーは、ベースモデルはパブリカ、スポーツモデルはGRスターレットと名付けられる……そんな未来も、あるかもしれません。 今後の動向にも大いに注目したいところです。
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