宮崎空港の戦時不発弾は「時限式」 化学反応で作動、米軍はなぜ投下したのか【解説委員室から】
◆特攻機に苦しめられた米海軍 一方、日本の空襲被害の研究で知られる元徳山高専教授の工藤洋三さんは、時限爆弾を投下したB29自体の運用に注目する。米陸軍航空軍の戦略爆撃機B29は本来、日本の都市や軍需産業を破壊するのが任務だが、一時的にせよ九州各地の特攻基地攻撃という戦術爆撃に「転用」せざるを得ない状況が生じたからだ。 「米軍が45年4月1日に沖縄本島に上陸した5日後、多数の特攻機を投入して始まった日本軍の『菊水作戦』は、米軍にとって非常な驚きだった。米海軍艦艇の被害は大きく、太平洋艦隊司令長官のニミッツは統合参謀本部を通じて陸軍航空軍に、九州の特攻基地を攻撃するよう強く要請した」と話す。 沖縄侵攻作戦支援の一環として、B29は3月に海上封鎖を目的に関門海峡などへの機雷投下を実施していたが、特攻基地への戦術爆撃任務は当初計画になかったもので、全くの予定外だったという。 米軍の45年4月の「Tactical Mission Report」(作戦任務報告書)には、沖縄侵攻作戦を支援するための九州の飛行場攻撃が太平洋艦隊司令長官の「request」によるものだったと明記されている。また、攻撃目標には出水(鹿児島県)、鹿屋(同)、太刀洗(福岡県)などとともに宮崎もリストアップされ、B29に搭載された通常爆弾の弾底部には延期信管を装着したことも記録されている。 マリアナ諸島を拠点とする米第21爆撃機集団(ルメイ司令官)は、B29戦力の大半を、既に効果を上げていた東京などへの都市焼夷(しょうい)空襲から九州の飛行場攻撃に振り向けることとなり、特攻機の出撃を阻むための爆撃を5月11日まで続ける結果となったと工藤さんは解説する。 特攻基地の復旧をできるだけ遅らせるため、米軍が時限爆弾を投下したのは当然の戦術ではあるが、沖縄周辺海域に投入された米海軍艦艇がいかに特攻機の体当たり攻撃に苦しめられ、積み上がる死傷者に悲鳴を上げていたのかを物語っているとも言えるだろう。 ◆「神経戦としての効果発揮」した時限爆弾 では、時限爆弾が投下された日本側には、実際にどのような影響が生じたのか。当時の状況を知る手掛かりが「鹿児島市戦災復興誌」に残されている。旧海軍航空隊があった鹿児島市は、45年3月18日の米艦載機による初空襲から8月6日までの間に8回にわたって攻撃を受けた。 復興誌によると、4月21日の空襲では米軍機十数機から「およそ200個」の爆弾が投下された。米軍機とは、マリアナから飛来したB29のことだ。 「『被害は割に少なく不発弾が多いようだ』という報告が市庁の防空本部にもたらされた」が、「不発弾と思われていたのが時限爆弾であった。およそ1時間くらいたったころから、あちこちで爆発を始めた」「時限爆弾とわかってから大騒ぎとなり、」と人々の混乱ぶりが記されている。 さらに「この時限爆弾は以来、5月末ごろまで昼となく夜となく爆発を続けた」「直接被害はさほど大きくなかったが、神経戦としての効果を発揮し、市民は恐怖におののいた」と書かれ、米軍の設定時間を大きく超過して、長期間影響を与え続けたことを示している。