「ルソーに憧れて」動かない体で夢を追う“寝たきり”の東大生・愼允翼さん
「この子、何かあるよ」。突然の医師の宣告
「大学に入学して、1~2年生のころは、毎朝、車で駒場キャンパスまで允翼を送迎していました。でも、実は駒場は私たち夫婦の出会いの場。懐かしさもあって、送迎は苦になりませんでしたね」 そう振り返るのは母・香理さんだ。允翼さんに初めて会った翌週、瀟洒な一軒家の自宅で取材に応じてくれた。 1971年、在日朝鮮人3世として千葉県で生まれた香理さん。茨城県の中高一貫校に通い、神奈川県のフェリス女学院大学へ進む。大学ではラクロス部で汗を流す一方、ハングルと朝鮮史を学ぶ意欲的な学生だった。 「『朝鮮史なら東大にいい先生がいるよ』と勧められ、週に1度、駒場キャンパスに通うようになったんです。そこで、科学史の研究者だった男性に出会いました」 それが、後に夫となる愼蒼健(シン・チャンゴン)さん(59)だ。その後、韓国の梨花女子大学へ留学し、1年後に帰国。 「もっと学びたかったのですが、夫の『結婚して、また家族で留学すればいいじゃないか』という提案に乗ってしまって(笑)」 大学卒業後、香理さんは23歳で結婚。翌年の1996年12月、允翼さんが生まれる。允翼という名前は“まことの翼”という意味だ。生まれたとき、允翼さんは健康そのものに見えた。 「6カ月児健診でも何の問題も出なかった」というが、半年がたっても首がすわらず、寝返りもうたないことは気にかかっていた。 「10カ月児健診のとき、担当医師から慌てて、『この子は何かあるよ』と告げられました」 家族で韓国に留学したい──。淡く抱いていた夢が打ち砕かれた瞬間だった。この日から、“病院巡り”の日々が始まった。 「『様子を見ましょう』と言われるだけで、育児相談程度で終わることもありましたね。1カ月おきに経過観察と言われ、行くたびに日常の様子を簡単に尋ねられるだけのことも……。 専門家の見立てではすでにSMAであるとわかっていたのかもしれませんが、それを母親が少しずつ受け入れられるように、配慮されていたのかもしれません」 一方、ある専門病院ではこんなこともあった。 「お母さん、ここに赤ちゃんを置いて。脱がせて!」 抱き抱えていた允翼さんを診察台に置くよう指示されたが、研修医が大勢取り囲んでいた。仕方なく言われたとおりに寝かせるとその場で講義が始まる。 「この子はフロッピーインファントといって──」 急に足を引っ張られた允翼さんは診察台の上で泣き声を上げる。当時は専門用語など理解できなかった。たまらず制止したのはビデオ撮影が始まったときだった。 「ビデオをやめて!」