木村多江と貫地谷しほりが母娘に 「多江さんは誰に対してもウエルカム」
ディズニーランドに行きたかった貫地谷 妄想の中で生きていた木村
― ドリームランドという遊園地が、ひとつのキーワードになっていますが、幼いころ、あこがれて行ってみたかった場所や、やってみたかったことなどはありますか。 貫地谷:幼稚園のとき、ディズニーランドに行ってきた子がキラキラのキーホルダーを持っているのが羨ましくて。でもうちの家族って、人混みの中に出かけることを割としなかったんです。旅行も一年に一回ぐらい、父の実家の広島方面へ帰る程度。イベントごとがあまりない家庭だったので、ディズニーランドなんてなかなか連れて行ってもらえなくて、やっと行けたときにはすごく嬉しかったのを覚えています。 ― キーホルダーとか、何かお土産を買いましたか? 貫地谷:それが、覚えていないんですよ。いざ行ってみると、絶対欲しい、買って帰る、っていう気持ちにはならなかった気もします。行くことがかなってしまうと、また何か違うんですよね。それは、今回の映画と共通するものなのかなと思います。 木村:私は、どこに行きたいとか、そういうのはあまりなかったですね。バレエをやっていたので、バレエのことばっかりで、妄想の中で生きていた感じです。 貫地谷:えー、そうなんですね。 木村:父が早く亡くなったんですけど、しょっちゅう海外へ行って家にいない人だったので、父との想い出があまりないんですね。いま思うと、もっといろんなところへ行っておけば良かったと思う。だから、いま自分の家庭を持って、逆にみんなでどこかへ行くとか、そういうことをものすごくまめにやるようになりました。 貫地谷:いいですね、忙しい合間を縫って収穫に行って(笑)。一石二鳥ですね、想い出ができて、おいしいものが食べられて。 木村:体と気持ちもリフレッシュして。
「でもね、私、性格的に緻密じゃないの」木村 「あれ?(笑)」貫地谷
― 作品中、十字架にまつわる言い伝えが出てきますが、子供の頃に一生懸命信じていた迷信というかジンクスというか、そういうものはありましたか。 貫地谷:小学生のころ、髪の毛を指に巻いて絵を描くと絵がうまくなるって。あと、好きな男の子の名前を書いた折り紙を枕の下に入れて寝ると夢が見られるとか。ぜんぜん見られなかったですけど(笑)。 木村:かわいい(笑)。 貫地谷:多江さんは、ありますか? 木村:なんにもないかも。逆にそういうのがあると、それができなかったときに怖いから(笑)。 貫地谷:大人!(笑) 木村:たとえば、右足から入らないとダメ、っていう話があるとして、でも右足からどうしても入れなかったらどうしようとか。そう考えると恐怖心で何もできないの(笑)。 貫地谷:えー、真逆ですね(笑)。私、ブラスバンドでクラリネットやってたんですけど、発表会のときまったく練習してなくて、できないことがわかっているのに堂々とステージ上がって、やっぱりまったく吹けなくて、親が真っ赤になって帰ってくるという子どもだったから、多江さんのすべての逆を行ってましたね(笑)。ピアノの発表会も、途中で間違えたら平気で最初から弾き直してたって親から聞かされて。そんな子どもだったんだ、と思って。 木村:でもそれはいいよね、細かいことをあまり気にしてない。大胆でいいですよ、人間の器として。 貫地谷:いえいえ、そこまで気が回っていないっていうだけで(笑)。友達と3人で陶芸行ったときも、2人はていねいに作っていて、2人がひとつ作る間に私は3つぐらい出来上がっていて、先生から「性格出ますねー」とか言われて(笑)。ま、いっかー、みたいな、そういうところがあるんですね。 木村:そういうふうになりたい。 貫地谷:バレエとかはきっと、あと1ミリ、脚を高く上げて、とか緻密な世界なんでしょうね。 木村:でもね、私、性格的に緻密じゃないの(笑)。 貫地谷:あれ?(笑) 木村:大雑把で、妄想だけで、自分の中でキラキラと音楽がかかっていて、先生に怒られても全部遠くで聞こえてる、みたいな。 貫地谷:それって、聞いてないってことなんじゃないの?(笑) 木村:そう、ぜんぜん聞いてないの(笑)。マイペースで。私、3月生まれで、何やっても遅くて、何やってもビリ。ポンポンできるほうじゃないから、決まり事を作ってしまうと動けなくなって。ゆっくりゆっくり進むのが、いまも続いている感じです。