日本を真の民主主義国へ「対話のある社会」をつくろう
「日本の子どもたちが塾に行っているのは知っているが、ここでは日本の教育を真似したいと思っている国はない」 ドイツ人はすでに日本の教育が抱える問題の本質を見抜いていたのです。実は、『豊かさとは何か』はドイツ語にも翻訳されているのですが、原題が『貧乏ニッポン』、副題は『経済的な巨人の影の側面』になっています。 ドイツの教育現場を見て驚いたことはいくつもあります。一つはあらゆる場面で個人や個性というものが徹底して尊重されていたということです。例えば、小学4年生のマラソンの授業では、校長先生が一人ひとりに「あなたはマラソンに参加したいですか? したくないですか?」と聞く。「したくない」と言えば、その子どもは学校の校庭で他のことができる。日本であれば「決まりだからやれ」の命令でおしまいでしょう。 5年生。社会科の「私たちの町」という授業では、生徒が自由に2人1組になり、日頃から自分がもっとも興味を持っていた場所を訪ね、調べたことをレポートにして発表します。例えばトルコ人の家を訪問し、故郷のトルコのことや家族の話を聞き、モスクを訪ね、わが町の珍しい外国人を理解しようとしているのです。生徒が調査に出かける朝はいつもより早く登校し、学校で用意した朝食を食べながら、なぜ自分はその問題を選んだのか、調査する方法などを話し合います。レポートは「私の町」という本に印刷され、隣の町の図書館に寄贈したり、外国の友人に送ったりします。すべては生徒の自主性によっています。 もう一つは、ベルリン自由大学で客員教授をしていた時のことです。ゼミの授業で、学生たちは積極的に手を上げて質問するんです。あまりにも頻繁なものですから、「ここまで一人ひとりに応対していたら授業が進みません」と言うと、学生たちから一斉にブーイングを受けました。 「暉峻教授、授業は私たちが主人公です。私たちは質問したいから手を上げています。授業とはどうすればみんなが理解できるかを学生と教授が一緒になって考えて行くもの。暉峻教授のように勝手に一人でやるなんて、教育ではありません」 私は学生たちに謝りましたが、ここまで明確に自分たちの意見を言えるのかと驚愕したことを今でも鮮明に覚えています。 同時に、ドイツ人は小学生の頃からこのようなことを教わり育っていることを知りました。 「神様は人間をわざと不完全につくった。完全につくっていたら助け合うことができない。だから、『助けて』『教えて』と言うことは決して恥ずかしいことではない」