日本を真の民主主義国へ「対話のある社会」をつくろう
私は幼少期に軍国主義の教育を受けて育ち、戦後180度価値観が転換した時代のなかで大人になり、96年の人生を歩んできました。 【画像】日本を真の民主主義国へ「対話のある社会」をつくろう この間、戦争の恐怖と極度の飢え、激しいインフレ、高度経済成長とバブル崩壊、ドイツ滞在、旧ユーゴスラビア(現セルビア)難民を支援するNGOの活動など、様々なことを経験してきました。 そんな私だからこそ、今の日本の民主主義のあり方について、そして、これからの日本の未来を担う世代の皆様に対して、どうしてもお伝えしておきたいことがあるのです。 日本は議員という代表者を通じて国民の意思を反映させる仕組みを持つ、歴とした民主主義国です。 しかし、内実はどうでしょうか。 日本人が選んだ民意の反映とはいえ、長い間、政権交代も起きません。政府は国民が政治や社会に関心を持ってほしいとは思っていないようにも見えます。森喜朗元首相の(投票には行かずに)「寝ててくれればいい」といった信じがたい発言は、実は政治家の本音なのかもしれません。 日本は民主主義国の中でも、社会参加に無関心な人が多いことで知られ、自分さえよければ社会のことは関係ない、誰かがやってくれる、と思っている人が多いように思います。 また、学校教育の現場では、政治問題を議論することはタブーとばかりに極度に制限して、校則を守り、先生の言うことを聞く子どもがいい子、与えられた問題に素早く正確に答えられることが優秀な子、有名校に進学して大企業に就職することこそ人生の勝ち組といった考えがいまだに蔓延しています。 タブーなのは子どもに限らず大人も同様で、職場での日常会話、近所の人との集まり、趣味やサークル活動などの場において政治の話をしようものなら、特異な目で見られ、話題にしにくい空気があります。 行政や企業組織の中では、上司の顔色を窺い、忖度ばかり。法令違反、コンプライアンス違反だと知りながら、不祥事が発覚するまで黙っている。かつて、日本企業が元気だった頃には、ワンマン経営者や上司に対して、勇気を持って「殿、ご乱心」と言える人たちがいて、それこそが愛社精神の裏返しでもありました。 しかし、今ではそんなことを言う人も減り、仮に忠告されても、経営者や上司に受け入れる度量も器量ない。かつてある企業の社長が私に「うちの会社では私に意見する若者がいないんですよ」と言いました。本人は「最近の若者はおとなしい」ことを嘆いているつもりなのですが、私には、社長自身が言えない環境を作っているとしか見えませんでした。