「タカ、生きろ!」高校野球、試合中に心肺停止 AEDに残る〝音声〟 17年前に救われた命
「言葉が出ませんでした」
AEDの音声は退院後に自宅で聞き、涙しました。 「言葉が出ませんでした。僕自身は記憶がないので、何があったか分からない。みんなめっちゃ泣いてるやん、って」 「自分としてはたいしたことではないと思っていましたが、想像をはるかに超える壮絶なものであったことが分かりました」 あとから確認したところ、電気ショックを与えられたのは倒れてから8分半後だったといいます。 心臓が止まってしまった場合、1分経つごとに救命率は約10%ずつ低下すると言われています。居合わせた人によって心臓マッサージを続けられることで救命率は約2倍、さらにAEDの使用で約2倍になるそうです。
〝AEDの普及〟を仕事に
いま、上野さんは綜合警備保障(ALSOK)の営業担当として働いています。「僕を救ってくれたAEDを販売していた会社です。AEDを普及していきたい気持ちがあり、いまの会社に決めました」 自身もAEDの販売や操作説明、一次救命講習会に携わります。 そのとき、「実は僕、AEDを使ってもらって助かったんです」と話すそうです。 「経験者の僕だからこそ伝えられることがある」と考え、AEDの設置を多くの人に呼びかけます。 「AEDは耐用年数が6~8年で、置いていても使うことがないケースもあるかもしれません。しかし、社会貢献として考えてほしいと思います。身近な人に起きたらと想像して、いざというときのために導入してほしいです」
相手打者の人生も「救われた」
今回AEDで救われたのは、上野さんだけではありませんでした。 上野さんが入院していた当時、病室に対戦校の監督や打席に立っていた選手、主将がお見舞いに来て「すみませんでした」と謝罪したそうです。 しかし、上野さんは「悪意があってのことではありませんし、スポーツ中のことなので謝罪はやめてください」と伝えたといいます。「僕らはそこで棄権したので、次の試合も頑張ってくださいと話しました」 上野さんは、そのとき監督から「君が助かってくれて、この子(打者)も救われた。野球を続けていける」と言われたことが印象に残っているそうです。 日本AED財団の三田村秀雄理事長は「AEDは倒れた人の命を救うだけではありません」と話します。 「上野さんのケースでは、打者の人生も救ったことになります。打者に非がないことは明らかですが、上野さんが死亡するようなことがあればとてもつらいですし、悔いのようなものが一生残るかもしれません。もう二度と野球ができなくなってしまったかもしれません」 「AEDによって本人や家族、友人たちの悲しみが避けられただけでなく、その相手に一生のしかかるであろう心の重荷を解放できたことも、AEDの大きな貢献といえます」 「学校はもちろんのこと、合宿や遠征試合、草野球といった場面においても、万一のことを想定してAEDの存在を確認する、必要に応じて持って行くなどの配慮が大事です。スポーツの場面にAEDを用意しておくことが重要だという認識が必要であり、それが常識になってほしいと思っています」
命をつないでくれたおかげで
昨年9月、上野さんには長女が生まれました。 「娘を見てかわいいなぁと思うたびに、今生きていられることに胸が熱くなります」 みんなが命をつないでくれたおかげだーー。 上野さんは改めて命の大切さを感じました。 「家族にも、命や人助けの大切さを伝えていきたい。娘には困っている人がいたら声をかけられる人になってほしいと思います」 ※8:32 写真のキャプションを修正しました。