織田信長の「首塚」が静岡に? 市長らが信長サミットで供養へ
織田信長とゆかりのある自治体によって2年に1回、開催されている織田信長サミット。第27回となるサミットが今秋、静岡県富士宮市で開催される。同市によるとサミットは11月11日に市文化会館で行われ、翌12日には関係自治体の首長らが市内西山の山地にある西山本門寺を訪問、同寺本堂裏の「信長公首塚」で焼香し供養を行うという。
信長の首塚は存在するのか?
静岡といえば徳川家康の地だが、富士山の西南麓に位置する富士宮市は織田信長とのゆかりがある。「富士遊覧と言って、信長が武田を討伐した後、居城の安土城に帰る際、富士山を見たいということでこちらを通って帰られたのです」と富士宮市観光課の職員。 市内には信長が腰をかけて富士山を眺めたと伝えられる富士見石が残っている。富士見遊覧については、信長の一代記である信長公記にも記されており史実として信ぴょう性が高いという。
一方、謎めいた言い伝えもある。西山本門寺の首塚だ。康永2(1343)年、日代上人によって開山された同寺の本堂裏には柊(ヒイラギ)の大木があり、その木のもとに信長の首が埋められているというのだ。 この地元の言い伝えがクローズアップされるようになったのは、昭和54年1月に読売新聞日曜特報に「信長の遺体のナゾ 西山本門寺に埋葬」との見出しで掲載された宗門史研究家、山口稔さんの新説を紹介した記事がある。 さらに平成12年1月発行の月刊誌「歴史街道」に、作家の安部龍太郎氏による「富士山麓に埋められた信長の首」と題した記事が掲載されたことから西山本門寺の信長の首塚は広く世に知られることになり、現在は本堂裏側にある大きな柊の木のもとに信長公首塚と記された石碑が建てられている。 本能寺の変で死んだ信長の首を、変の前夜に信長の前で囲碁対局をした本因坊算砂が旧知の原志摩守に西山本門寺まで運ぶよう指示し、首を本堂裏の大柊のもとに安置したというのだ。
地元では商工会が中心になって平成12(2000)年より毎年11月の第2日曜日に信長公黄葉まつりと称した祭りを西山本門寺で開催しており、サミットはその前日に開催され、信長公黄葉まつりに合わせて関係自治体の首長らが西山本門寺を訪問して首塚で供養をする予定だという。 また、サミットでは「富士山麓に埋められた信長の首」を書いた作家の安部龍太郎氏と今川義元など戦国武将の研究で知られる静岡大学名誉教授の小和田哲男氏の記念講演も予定されている。
織田信長サミットは、昭和59(1984)年に織田信長生誕450年を記念し滋賀県近江八幡市(当時、安土町)で開催されたのがはじまり。織田信長に関係する自治体の首長が現在は2年に1度、ふるさとの歴史を生かしたまちづくりを目指し連携していくことを目的に集っている。 前回サミットは愛知県清須市で開催され、清須市のほか山形県天童市、福井県越前市、岐阜県岐阜市、岐阜県安八市、愛知県名古屋市、愛知県小牧市、滋賀県近江八幡市、静岡県富士宮市、群馬県甘楽町の10市町が参加、「価値ある歴史遺産を後世に伝え、住みよい地域社会の実現をめざし前進する」とのサミット宣言を行っている。