「兵士は車いすの娘に犬をけしかけて笑った」 過去20年で最大規模のイスラエル軍事作戦、民間人も犠牲…パレスチナ人に広がる憎悪
軍は共同通信の取材に対し、軍事作戦とは無関係とみられる少女への振る舞いを巡り「事実関係を確認できない」と回答した。 アスマさんの長男、アハマドさん(15)は物理的な暴力にさらされた。1人別室に連れて行かれた後、後ろ手に手錠をかけられ、頭に布をかぶせられたという。「銃床で頭を2回殴られ、地面に倒れ込むと、おなかや脚を蹴られ続けました」 ▽将来見えず武装勢力入りする若者たち ジェニン難民キャンプは1953年に設立された。多くが1948年のイスラエル建国に伴い故郷を追われた難民やその子孫だ。失業率は高く、国連の支援に頼る難民が多い。希望の描けない未来はイスラエルへの憎しみへと容易に転化され、貧しさは武装勢力の勧誘をたやすくする。 キャンプで活動する過激派「イスラム聖戦」の元メンバーは取材に「積極的に活動すれば月2千シェケル(約7万8千円)の報酬がある。イスラエルと戦え、家族も養える」と、武装勢力に加わる若者たちの動機を説明した。
今回の軍事作戦で、戦闘員の兄をイスラエル軍に殺害されたマハムードさん(18)は「キャンプでの生活に将来が見えず、イスラエルの占領を終わらせるには武装闘争しかないと考え、兄は武器を取った」と語る。「一緒に食事をし服も共有していた兄がいなくなり、言葉も出ない」と涙を浮かべた。武装勢力メンバーとはいえ、普段は民間人としてキャンプで日常生活を送る。武器を取るか否かは紙一重の差でもある。 イスラエルは1967年の第3次中東戦争でヨルダン川西岸を占領した。以後、撤退するよう求める国連安全保障理事会の決議を無視し、国際法違反のユダヤ人入植地の建設を推進する。住宅地や農地を奪われるパレスチナ人は当然反発し、摩擦が生じる。 イスラエルはパレスチナ武装勢力を「テロリスト」と見なして殺害を正当化するが、パレスチナにとっては占領に対する抵抗運動の担い手だ。国連総会は1982年、植民地支配下の人々が武力闘争を含め、あらゆる手段で植民地や外国の支配からの解放を求め闘争する正当性を認める決議を採択している。