全米メディアも元阪神キーオ氏追悼記事「アスレチックスの誇り」「試合後に電報エピソード」
元阪神のマット・キーオ氏の64歳での逝去を全米の主要メディアも一斉に伝えた。オークランド・アスレチックス時代に3年連続2ケガ勝利をマークし、オールスターにも出場。引退後は、エンゼルスやアスレチックスなどでフロントマンとして活躍していたキーオ氏の功績が評価されてのものだろう。 CBSスポーツは「アスレチックスのオールスター(出場選手)でMLBフロントオフィスの特別補佐だったキーオ氏が64歳で死去」との見出しを取って報じた。 「1977年から86年までMLB で9シーズンをプレーした右腕投手のマット・キーオ氏が土曜日に死去したとオークランド・アスレチックスが認めた。死因は記されていない。64歳だった。キーオ氏は、1977年から83年までアスレチックスでプレーし、特別補佐として球団のフロントオフィスで働いた」と伝えた。 同記事では、アスレチックスのビリー・ビーン球団編成部門副部長の声明も掲載された。「マットは素晴らしい野球人でオークランド・アスレチックスの誇りでした。野球に対して驚くべき情熱を持ち、彼が特別補佐として我々と一緒に働いた長年の間、彼や彼の豊かな知識を得ることができて幸運でした。彼は、関わったすべての人に忘れがたい影響を残してくれました。キーオ氏の家族全員に心からお悔やみ申し上げます」 またMLB選手会も「選手コミュニティーは選手、コーチ、幹部として、40年以上にわたる彼の家族の誇りである野球レガシーを引き継いできたキーオ氏を失い悲しみに包まれています。MLB選手会はマット氏の家族、アスレチックス、彼の友人、野球を通じたファンにお悔やみ申し上げます」との声明文を発表している。 阪神時代も含めた現役時代の経歴が紹介され、阪神退団後にMLB復帰を目指したことにも触れ、「スプリングトレーニングの試合中。ダグアウトに座っていたキーオ氏は、ファウルボールを頭に受け、1992年のエンゼルスでのMLBへの復帰の試みは終わった。彼の怪我は緊急手術を必要とした。キーオ氏は、MLBで1190イニングを投げ、防御率4.17で引退し、その後、アスレチックス、エンゼルス、レイズでスカウト、特別補佐、投手アドバイザーを務めた」と記した。 また「キーオ氏は、野球家族の一員でもあった」とも説明。父親のマーティ氏は、1956年から66年まで11シーズン、叔父のジョー氏は、1968年から73年まで6年間を共に外野手としてMLBでプレー。またキーオ氏の息子のシェーンは、2007年から2010年までアスレチックスのマイナーリーグで外野手とプレーしている。ちなみに父のマーティ氏は1968年に日本の南海でも1年間プレーした。