全米メディアも元阪神キーオ氏追悼記事「アスレチックスの誇り」「試合後に電報エピソード」
スポーツイラストレイテッド誌は、「キーオ氏は、当時、アスレチックスに5人いたエースの1人で、40年前のビリー・マーチン監督の時代。アスレチックス創成期の主要メンバーだった」と、報じた。1978年にオールスター出場、1980年には16勝を記録したキーオ氏は、アスレチックスの先発投手を特集したスポーツイラストレイテッド誌の1981年4月号で取り上げられており、「マイク・ノリス氏、スティーブ・マッカ―ティー氏、リック・ラングフォード氏、ブライアン・キングマン氏とともに『5人エース』の1人だった」と伝えた。 記事では、”5人エース”の一人、キングマン氏との現役時代のエピソードをクローズアップした。 「キーオ氏は1978年から1979年にかけて28試合の先発で勝利なしというクリフ・カーティスのメジャーリーグ記録(1910-11年)に並んでしまっていた。その翌年、キングマン氏は、メジャーリーグ記録に並ぶ20敗を記録した。彼は、キーオ氏が、シーズン最後の先発登板で、わずか1イニングしか持たなかった9月25日のブリュワーズ戦のその後を任されて20敗目を喫した。キーオ氏は、試合が終わったときには、(クラブハウスから)いなくなってしまっていたが、その夜に、ミルウォーキーのホテルに戻ったキングマン氏に電報を送り彼を驚かせた」という。 キングマン氏は、「あの時代に、そういった電報を受け取ることなどめったになかった。『終わったことだから前を向いて全力を尽くそう』といった内容だった。とても助けられた」とコメントを寄せている。 日米で愛されたキーオ氏の優しい人柄を示すいい話である。