「讃岐うどんはもろちん、骨付き鶏もうまい」の間違いがわかるか…月刊誌で実際にあった"恥ずかしすぎる誤植"
■校正は「消される仕事」 「先輩から教えられたことですが、校正は一字ずつ、自分の名前のハンコを押していく作業なんです。OKのハンコ。全部の字にハンコを押すつもりで確認する。そこで『あれ?』『おかしいぞ?』という字があったら、調べて修正を提案するんです」 実際にハンコを押すわけではないので、校正済みのゲラに印はない。「ない」ということがOKの印なのだ。 ――しかし一字だけ見ていると、全体が見えなくなりませんか? 「字には物体としての魅力があるんです」 ――物体? 「字の並べ方、字詰めなど、物体としての姿があるんです」 言葉として意味を読み取るのではなく、物体として容姿を確認するのだろうか。 ――おかしい、と思った部分を直したつもりなんですけど……。 私の校正は文章の見た目がおかしいという指摘でもある。 「それを赤字で入れてはいけません」 ――そうなんですか? 「必ず鉛筆で書いてください。そして直すというより、『このようにされたら、いかがでしょうか』と提案するんです」 ――なぜ鉛筆なんでしょうか? 「消せるからです。編集者が不要と判断したら消せますから」 校正の仕事は消される。たとえ直しても校正の痕跡は消されるし、OKのハンコも見えないわけで、消されることが校正の宿命なのだ。私のような「俺が直した」「直した俺」という自意識こそ真っ先に消すべきなのだろう。 ---------- 髙橋 秀実(たかはし・ひでみね) ノンフィクション作家 1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『からくり民主主義』『趣味は何ですか?』『不明解日本語辞典』『悩む人』『道徳教室』『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』など多数。 ----------
ノンフィクション作家 髙橋 秀実