人種問題に切り込んできたスパイク・リー監督が語る「アメリカ社会の現在地」…作品には「今も力がある」
<『マルコムX』『ドゥ・ザ・ライト・シング』......。黒人の日常や文化を描く多くの映画を通じ、公民権を推進してきたスパイク・リー監督インタビュー>
スパイク・リーは映画監督として長年、アメリカの黒人社会が直面するテーマに深く切り込んできた。1986年のデビュー作『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』をはじめ、高い評価を得た89年の『ドゥ・ザ・ライト・シング』など、監督だけでなく脚本や製作を務めた作品も多い。 【動画】スパイク・リー監督のインタビューの様子/『マルコムX』『ドゥ・ザ・ライト・シング』予告編 リーは、この『ドゥ・ザ・ライト・シング』でアカデミー賞脚本賞にノミネートされるなど、早くからその実力を業界でも認められてきた。 ただしアカデミー賞の受賞までこぎ着けたのは、デビューから30年以上がたった2019年の『ブラック・クランズマン』での脚色賞だった。それも4年前にガバナーズ賞という名誉賞を受賞した後という、奇妙な順番だった。 ニューヨークで育ったリーは、NBAのニューヨーク・ニックスの大ファンとしても知られ、試合はほぼ欠かさず最前列で応援している。その一方で、「バスケットボールの神様」ことマイケル・ジョーダン(現役時代の所属チームはシカゴ・ブルズ)との付き合いも長い。 きっかけは、ナイキがジョーダンのために作ったシューズ「エアジョーダン」を、リーが『ドゥ・ザ・ライト・シング』で取り上げたこと。その後リーは映画の登場人物に扮して、エアジョーダンのCMにも出演している。 後にリーが伝説的な黒人解放運動指導者の生涯を描く『マルコムX』の製作中に資金難に陥ったときは、ジョーダンが多くの黒人セレブらと共に資金援助を申し出た。 リーは今年10月、米国立公民権博物館(テネシー州メンフィス)が公民権運動の功労者に授与するフリーダム賞の受賞者に選ばれた。同博物館は、マーチン・ルーサー・キング牧師が1968年に暗殺されたロレイン・モーテルの跡地に建設され、アメリカの公民権運動の歴史を網羅するとともに、運動をさらに推進する上での拠点になっている。 10月17日にメンフィスのオルフェウム劇場で開かれた授賞式の前に、公民権運動への貢献や『マルコムX』、そして20日後に迫っていた米大統領選について、本誌デビン・ロバートソンが話を聞いた。 ──フリーダム賞の受賞者として、アメリカ社会における正義と平等の実現にどのように貢献してきたと思うか。 やはり映画と、そこで描いてきたストーリーを通してだろう。多くの映画は製作された時代を反映しているが、そのテーマやメッセージは今でも力を持っていると思う。 例えば今年は、『ドゥ・ザ・ライト・シング』の公開35周年だが、あの映画に登場するラジオ・ラヒーム(白人警察官に背後から首を絞められて命を落とす黒人青年)をいま見たら、誰もがジョージ・フロイド(2020年に白人警察官に首を踏みつけられて死亡した黒人男性)のことを思い出すだろう。 私があの脚本を書いたのは88年で、映画の公開は89年。ほかにも、ジェントリフィケーション(低所得層の居住地域の再開発による高級住宅地化)や地球温暖化といった問題も扱っている。 水晶玉か何かで未来が見えていたみたいだろう? 友達に「黒人版ノストラダムス」と呼ばれることがあるくらいだ。「さあ、黒人ノストラダムスの出番だ。ちょっと予測してくれよ。どうなるか教えてくれ」ってね。 ──来年はマルコムXの生誕100周年で、あなたの映画の公開33周年でもある。 そうだった。あれは(主演が)デンゼル・ワシントンだったからこそ、すごい作品に仕上がった。永遠に語り継がれる名演技だ。製作ではいろいろな問題に直面したけど、いわばアッラーの思し召しで完成させることができた。 とにかく辛酸をなめた。脚本やスタッフなど、30から40もの変更があった。死ぬんじゃないかと思ったが、どうにか完成にこぎ着けた。