ウズベキスタンの食べもの 夕涼み「ソフト」に群がる子供、子供、子供… <門井慶喜の史々周国>
この夏、ウズベキスタンに行ったことは前回も述べた。 留学中の長男を訪ねての、まあ家族旅行みたいなものだったが、紙数の関係で書けなかったこともある。 わけても惜しかったのは食べものの話なので、今回はそれをしたい。とはいえ、そのすべてを披露するのも無理なので、ふたつに絞ることにしよう。なお私が行ったのはタシケントとサマルカンド、もっぱら都市部であることを断っておく。田舎は事情が異なるかもしれない。 印象に残るものの第一は、フルーツである。いったいに私は海外では生のフルーツを食べるのが好きで、たとえば台湾の果物屋の店先で食べたライチの味など忘れがたいが(もちろん日本には持って帰れないのだ)、その私も、ウズベキスタンのそれの種類の豊富さには驚かされた。 梨も、りんごも、プラムも、どれもおいしい。甘みや酸味や、ちょっとした苦みの幅が広いのだ。しかも人々の暮らしに密着している。街角の雑貨屋でも買えるし、特急列車の食堂車でも買えるし、マーケットではスイカの玉がごろごろと金網つきの台車につまっているのを見ることができる。まるで日本の中学校の体育館のバスケットボールのよう。 こういう彼らのフルーツ好きは、地理的に見ても納得がいく。もともとこの国の都市は砂漠のオアシスが起源であることが多く、オアシスではしばしば外周部に果樹園がつくられる。 そこに住む人にとって、そうしてそこを通り過ぎる旅人にとって、果実というのは持ち運びのできる恰好(かっこう)のエネルギーチャージ飲料なのである。余ったら乾燥させられるのも大きな利点で、私はこの旅行中、いろんな場所でぶどう、アプリコット、いちじく、メロンなどの干したのを見たけれど、どれもねっとりと舌の上にとどまって、そしてさらっと消えてしまう。 要するに、果物らしい味がするのだ。製法が簡潔なのだろうか。日本で手軽に買えるような、変にコクのあるレーズンはここには存在しないようだった。 第二に印象に残ったのは、お酒である。より正確には酒の不在と言うべきで、この国では酒の飲める機会が少ない。