エリート家庭のお嬢様→少年院にも入る筋金入りのワル→“日本初の女ヤクザ”になった西村まこ(58)の壮絶人生「学校のテストは100点以外なら竹の棒で体罰」
父親は愛知県庁に勤める公務員、親戚の中には東京大学出身の裁判官も――。そんなエリート家庭で生まれながら不良の道に進み、ついには“日本最初の女ヤクザ”になってしまった西村まこさん。今では更生を果たし、地域住民からの信頼も厚いNPO法人「五仁會」(主な活動内容は暴力団および非行少年の更生支援など)の広報として活躍する彼女だが、そこに至るまでにどんな人生があったのか? インタビュー初回では、「彼女が育った家庭環境」について聞いた。(全6回の1回目/ 続き を読む) 【女優レベル!!】美しいのに「小指」がない…男ヤクザから「タカラヅカ」と呼ばれた現役時代の西村まこさん(写真多数) ◆◆◆
「体罰も当たり前…」西村まこが不良になった理由
――いわゆる“教育虐待”に当たるような厳しいご家庭で育ったと聞きました。 西村まこ(以下、西村) うちのお父さん、怖かったですよ。学校のテストは100点取るのが当たり前で、点数が悪いと竹の棒でビシビシ叩かれるんです。食事のマナーにも厳しくて、少しでもお箸の持ち方が変だったり、物を食べているときに音を鳴らすと、やっぱりビシッと叩かれました。 うちのお父さんは、小さい頃に両親を事故で亡くして、結構な苦労人だったんです。親戚の家をたらい回しにされる中でも必死に勉強し、働きながら夜間大学を卒業して、県庁の職員になりました。すごく努力して身を立てた経験があるからこそ、子どもたちにも勉強してほしかったんでしょうね。スパルタ教育がイヤでイヤで仕方なかったですが、年齢を重ねてお父さんのすごさがわかりました。 ――お父様は公務員だったんですね。 西村 そうそう。愛知県庁でわりと偉かったみたいですよ。おじいちゃんは勲章をもらっているし、実はエリートの家なんです。 ――まこさんだって、ヤクザの世界のエリートじゃないですか! 西村 あはは、こんなになったのは私だけです(笑)。 ――そんなお堅い家庭の娘さんがなぜ不良に……?
西村 中学2年生のときのクラス替えで、ちょっと不良っぽい子と仲良くなったのが始まりでした。親が選んだ地味な服を着ている私にとって、その子が流行りのオシャレな服を着て髪を巻いているのは衝撃的で、どうしても真似したくなった。振り返ってみると、ファッションが不良の入り口でしたね。その子の家に遊びに行ったら、親も理解がある感じの親で、子どもと仲良く談笑しているわけです。「うちとはぜんぜん違う!」と何もかもが新鮮でした。 ――ファッションが入り口となって、行動も不良化していったわけですね。 西村 性格が極端なんですよね。ファッションだけで満足できず、普段の行動から不良になろうと、家出にタバコ、車の盗難と、どんどんワルの道に進んでいきました。当時は、「補導されるくらいがかっこいい」と思っていました。地元で毎日ケンカ三昧でしたね。われながら強かったんですよ。危なくなるとそのへんの鉄パイプとかモノ使うから結局負けない。メリケンサックも使いましたね。あの頃、通販でよく売ってたから(笑)。
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