気づいたら20~30人の組員たちに取り囲まれて…麻薬取締捜査官が危機を脱するまでの〝一部始終〟
’80年代、暴力団相手の麻薬捜査に明け暮れていた元麻薬取締官の高濱良次氏。切った張ったのヤクザたち相手に一歩も引かずに捜査を続ける中で、時には背筋が寒くなるような思いをしたという。後編では、捜索中に大勢のヤクザに取り囲まれた際のエピソードを紹介する。 【画像】無事に組長を逮捕したまではよかったが…… 【前編】「兄貴、やりますか」と冷静な口調で…麻薬取締官が組事務所へのガサ入れ中に〝身の毛もよだった瞬間〟 ◆取締官7名で組事務所に「ガサ入れ」 1989年(平成元年)10月(関東信越地区麻薬取締官事務所横浜分室時代) 東京都江東区の暴力団組長が覚せい剤の密売に関与しているとの情報に基づき、私を含めた7名の取締官で午後7時頃から組事務所に対する捜索を決行しました。事務所には組長1人だけで、同人立会いのもと、捜索が始まりました。 捜索の際、私は常に被疑者の動向をチェックするようにしています。そのときも、いつものように組長の眼の動きや挙動を監視するため、応接セットのソファーに向かい合って座りました。眼の前のガラステーブルにある灰皿やコップなどをチェック。ティッシュペーパーの箱に手を伸ばし、両脇から開封しました。 組長に動揺は見られません。箱からティッシュを抜き取り、一枚一枚調べていたところ、中程からチャック付きのビニール袋が出てきました。覚せい剤です。50gぐらいと見当をつけ、「これはシャブか」と尋ねると「そうだ」との返答。見込みどおりの量であることも判明しました。逃れられないと悟った組長は、「若頭(若者頭、家族構成から言えば長男)をこの場に呼んで、今後の組運営の打ち合わせを行いたい」と申し出ました。 了承すると、組長は早速、電話で若頭を呼び出しました。30分程で若頭が姿を見せました。その際、扉から組員たちが事務所の中の様子を窺っている様子が見て取れました。20~30人はいたでしょうか。 ◆極限の緊張状態の中で こちらは私を含めて7人。これから組長を連行するというときに、こんなに多数の組員に取り囲まれて襲われれば、ひとたまりもない。組長も奪還されてしまうでしょう。そう危惧して、関東信越地区麻薬取締官事務所に応援の出動を要請しました。しかし、時刻は午後の8時過ぎ。ほとんどの取締官が退庁してしまっていた。 それでも、出来るだけ早急に応援を集めるよう依頼したのですが、時間だけが虚しく過ぎていきました。1時間近く経っても、応援部隊は到着しません。私は応援を待たずに組長を横浜分室に連行することを決めました。組長と若頭に「組員が手出ししたら、徹底した検挙を行って組を潰してやるからな」と告げました。 少しでも弱気なところを見せたらやられると思い、平静を装っていましたが、内心はハラハラドキドキ。幸い、組長と若頭は組員に“慎むよう”と言い聞かせていました。 組長を連れて、玄関前に集まっていた組員たちをかき分けるようにして外へ出ました。幸い若頭達の言い付けに背く者はおらず、無事に公用車まで辿り着きました。車に乗り込むまでは極限の緊張状態で、冷や冷やでした。もし、跳ね返りの組員が我々を襲っていたら、その場で全員ボコボコにされていたでしょう。一生、忘れられない逮捕劇でした。
FRIDAYデジタル