野木亜紀子が語る、長崎原爆は「避けては通れない話だった」。『海に眠るダイヤモンド』インタビュー
「端島はただ時代に振り回されただけではない」
―石炭から石油にエネルギーの主役が変わることで、徐々に都市としても衰退してしまう。ある意味で時代に振り回された存在とも言えるのかなと……。 野木:たしかにエネルギー政策の転換は実際に起きたことで、端島を悲劇的な島だととらえている人は多いかもしれません。でも、故郷を失うという悲しみはありつつも、実際にはそれだけではないんですよね。取材を通して、ただ時代に振り回された島というわけではないと感じたので、今回のドラマで描きたいことの一つとして、その誤解やイメージを解きたいとも思っています。 ―そうなんですね。観光地として存在は知っているものの、詳しくは知らないことだらけだとドラマを見ながら感じています。取材を通して当時の端島の人々にどんな印象を持ちましたか? 野木:とにかく人々がすごく一生懸命働き、生きていたんだなと感じました。元島民の方々はとても楽しそうに昔のことを語るんです。不便は多いけれど、その環境を当たり前としながら暮らしていた姿を想像して、人間ってそれだけ逞しいんだよなと思います。 いまの価値観で捉えると労働讃歌のように聞こえてよくないけれど、そういう時代が確かにあったんだなと。もちろん、いいことばかりじゃなかったでしょうけどね。 野木:今回のドラマでは軽く触れた程度ですが、狭い島だからこそ文化活動も体育活動も盛んで、バレーボールや百人一首かるたなども強かったそうです。 写真や絵画を趣味にしている人も多くて、毎年文化祭が開かれて作品を出品してみんなが見に行くとか、狭い島内でいかに楽しく暮らすかという工夫や貪欲さも感じて、すごく面白いなと感じました。
『海に眠るダイヤモンド』はホームドラマであり、青春群像劇
―狭すぎるからこそ共存できるように、バランスが保たれていたのかもしれないですね。野木さんの作品は『アンナチュラル』では法医学など、はっきりとしたテーマや題材があるように感じているのですが、今回は端島や炭鉱という題材はありつつ、家族や恋愛、友情の物語でもあります。作品の一貫したテーマはあるのでしょうか? 野木:『アンナチュラル』は法医学ドラマではありましたが、法医学自体はテーマたり得ません。また別のテーマを自身で設定していました。今回は、炭鉱の島の話ではありますが、現実問題として炭鉱内のシーンを映像で描くことには限界があります。 端島の炭鉱は海底940mに達するほど深く続いていて実際は傾斜がすごい。今回、炭鉱のシーンは現存している明延鉱山(編集部注:兵庫県養父市。かつてスズの鉱量で日本一を誇っていた)で撮影をしていますが、登場させるのに今の分量が精一杯です。もともと端島という島の生活や特殊性に着目して始まった企画なので、その特殊環境における状況をベースとしたヒューマンドラマをつくるという前提で、青春群像劇かつ家族のドラマとしてつくっています。 野木:このドラマのテーマは何かという質問自体、面白いなと思っています。いきなり答えを訊いちゃうんだ? って。もしいま『北の国から』の第1話を放送したら、同じようにテーマは何かと聞かれるのかもしれません。 伝説の作品と並べるつもりはなく、あくまでジャンル論の話として、『北の国から』は何の話か? と言えば、一家が北に移住した話。物語は、そこでの生活だったり家族だったり友情だったり成長や初恋がありつつ、北海道で生きた人たちの話なんですよね。このドラマも「端島で生きた人たちの話です」ということなんですが、それだけだとあまりピンときてもらえないというか……。ホームドラマや青春群像劇というジャンル自体が消滅しかかっているので、馴染みがないということもあるのかなと思います。 ―たしかに……。いま野木さんの言葉を聞いて、自分自身が作品に過度にテーマ性を見出そうとするクセがついてしまっているかもと感じました。 野木:明言されたテーマという「正解」がわかりやすくあるほうが、レビューなんかも書きやすいだろうし、書く側の気持ちとしてはわかります。私自身はもちろんテーマを持って脚本を書いていますが、それはぜひ最後まで見ていただいて、各々に感じていただければと思います。