「すべて松下電器の落ち度です」代理店の責任者を涙させた、松下幸之助の謝罪
乾電池を1万個タダでください
「ハハア!? タダで乾電池を1万個、あなたにあげる?」 幸之助の計画を聞くと、東京の乾電池会社の社長はそう言って驚いた。驚くのも無理はない。幸之助の計画とは、新しい自転車用ナショナルランプを開発したが、その販売にあたっては、宣伝見本として各方面に1万個を配りたい、ついてはその見本に入れる乾電池1万個をぜひ提供してほしい、というものであった。 「松下さん、そりゃ少し乱暴じゃありませんか」 「社長さん、あなたが驚かれるのも無理はありませんが、私はこの方法に非常な確信を持っているのです。しかし、1万個もの電池を故なくタダでもらおうとは思っていません。それには条件をつけましょう」 その条件とは、今は4月だが、年内に乾電池を20万個売る。そのときに1万個まけてほしい。もちろん売れなかった場合にはその代金は支払う、というものであった。 「私が商売を始めてからこのかた、こんな交渉はただの一度も受けたことがない。よろしい、年内に20万個売ってくれるのなら、1万個はのしをつけてきみにあげよう」 いよいよ乾電池とともにナショナルランプ1万個を市場に配ることになった。しかし、1万個という数はいかにも大きい。また、ランプそのものが高価なものである。あげるにしても、もらうにしても1個ずつであった。 だから、1000個ほども配ったと思う時分には、その見本が注文を呼んで、次々と注文が殺到した。そしてその年の12月までに、松下電器は47万個の乾電池を引き取っていたのである。 翌昭和3(1928)年1月2日、幸之助の家を訪ねる人がいた。紋付羽織、袴に威儀を正した乾電池会社の社長がわざわざ東京から大阪まで出向いてきたのである。 「松下さん、きょうはお礼を言いに来ました」 社長は感謝状を渡すとともに、「わずかのあいだに47万個も販売されるというのは、わが国電池界始まって以来ないことだ」と口をきわめて賞賛し、幸之助を感激させたのだった。