ザックジャパン DF補強の切り札は攻撃DFの広島・塩谷司
塩谷自身、いまでも柱谷への感謝の思いを忘れない。 「センターバックにコンバートしてくれたことが本当に大きかった。あそままボランチだったら、多分プロになっていなかったんじゃないかなと思う。いまごろ何をしているのかなという感じです(笑)。仕事をしながらでも、サッカーは続けるつもりでいたんですけどね」 2年目の2012年。ディフェンスリーダーの風格を身につけ、ホーリーホックの最終ラインに君臨していた8月に2度目の転機が訪れる。夏の移籍ウインドーが開くと同時に、大宮アルディージャ、清水エスパルス、そしてサンフレッチェから完全移籍での獲得オファーが届いた。 愛着の深いホーリーホック残留を含めて、思い悩んだ末に塩谷は「人生で最大だった」と位置づける決断を下した。 「J1の中で一番面白いサッカーをしているし、優勝争いをしている中で選手全員の意識が高いということも聞いていたので、サンフレッチェでサッカーをしようと決めました」 このときも柱谷のアドバイスに後押しされた。攻撃力も兼ね備えている塩谷は、3バックシステムを採用しているサンフエッチェでさらに伸びる。果たして、昨シーズンから3バックの右に定着した塩谷は、果敢な攻撃参加から今シーズンの公式戦ですでに5ゴールをマークしている。 日本代表でともにプレーした盟友で、サンフレッチェを2年連続のJ1覇者に導いた森保一監督の育成力に対する信頼感もあったのだろう。柱谷はこんな秘話も明かしてくれた。 「塩谷が日本代表に入らなかったらお前のせいだぞ、と言っておきました(笑)。僕は日本代表に入れるとずっと思っていた。たまに試合中で誤った判断をするので、そこを森保監督がちゃんと指導してくれればね。ウチの戦力のことだけを考えると移籍は確かに痛手だったけど、自分たちが育てた選手が上のカテゴリーで活躍してくれるのは嬉しいし、励みになるからね」 大学4年生だった前回の南アフリカ大会は、一人のサポーターとしてベスト16に進んだ日本代表へテレビ越しに声援を送り続けた。サンフレッチェで充実した日々を送っていた昨シーズンの途中に、塩谷から日本代表への熱い思いを聞いたことがある。 「大学生のときに比べたら、ちょっとは(代表に)近づいたのかな、着実にステップアップしているのかなとは思っています。日の丸を背負って戦うことは、やっぱり憧れですよね。サッカー人生の最終地点ではないですけど、代表は大きな目標です」 2度のJ1優勝を経験し、2年続けてACLの舞台でアジア勢とも戦った。恩師の柱谷をはじめ、代表入りを推す周囲の声も日増しに大きくなってきた。確かな手応えを感じながらも、J2の舞台から一歩ずつ地道に階段を上がってきた塩谷は、自分自身の現在位置を冷静に見つめている。 「もっともっと上手くならないと(代表の)レベルにはいけないと思うので。しっかりと地に足をつけて、自分を見失うことなく、基礎からしっかりと磨き上げていかないと。満足はしていないというか、まだまだ満足できるようなレベルではないので。もっと、もっと上手くなりたい」 陣容がほぼ固まっているザックジャパンに食い込むのは容易なことではないが、吉田麻也(サウサンプトン)が右ひざのじん帯を痛めて約6週間の戦線離脱を余儀なくされたこともあり、センターバック陣には万全のリスクマネジメントを施しておく必要がある。 ボランチとして招集されたMF高橋秀人(FC東京)を含めて、センターバックを務められる代表候補選手が7人を数えたのも、アルベルト・ザッケローニ監督が危機感を抱いているからに他ならない。大逆転でのブラジル行きの可能性が決してゼロではない中、若手を中心とする国内組の精鋭たちが集い、7日から3日間にわたって首都圏で行われる合宿は、貪欲なまでの向上心を抱く塩谷にさらなる刺激を注入するはずだ。(文中一部敬称略) (文責・藤江直人/スポーツライター)