大学競争、早慶戦は慶応の圧勝 なぜ、早稲田は苦境に? 大学ジャーナリスト・石渡嶺司
慶応が逆転 ~SFCとバブル崩壊が分岐点に~
早稲田優勢が変化したのは1990年代です。まず、1991年、慶応義塾大が湘南藤沢キャンパス(SFC)に総合政策学部、環境情報学部の2学部を新設し、学力以外の熱意なども合わせて考慮するAO入試を導入します。英語やコンピュータ教育が注目され、慶応のイメージは「最先端の大学」に一変します。 さらに1991年以降のバブル崩壊と長引く不景気も慶応の追い風となりました。不景気になれば、各企業は新卒採用を抑制し、学生は少ない椅子を争うことになります。ところが、慶応の学生は善戦しました。慶応の卒業生が加入するOB会、通称、三田会が地域別、企業別などに組織され、現役学生の就職活動を手厚くフォローします。 三田会を通じて社会人との接点が多い慶応の学生は、相対的に自分に自信を持つようになります。慶応出身の元博報堂人事ディレクターで評論家の山本直人さんは、ブログで慶応生を「ゴキブリ」にたとえて、次のように分析しています。 「ワラワラと人気企業に群がってきて、しかも落そうにも結構しつこい。これは、僕の学生時代から言われていた。その一方で、慶応の学生は就活戦線で一定の強さを持っていることも事実だ。それは『根拠ない自信』によるものだと思っている。(中略)「根拠のない自信」を持つ学生は、採用側からすると大変落としにくいのだ。『なんだか、怪しい奴だが、競合に採られると嫌な気がする』」(山本直人ブログ「慶大生の伝統芸『根拠のない自信』」) http://www.naotoyamamoto.jp/blog/archives/2012/02/post-93.html#more-112
オシャレイメージが好まれる
慶応の善戦により、慶応の「イメージ」が上と見る受験生が増えました。1999年、都立本郷高校・進路担当教員はこう語っています。 「かつては早稲田のぐちゃぐちゃとした雰囲気が、大学らしいと生徒に受け入れられていました。でも今の子はそんなのを敬遠する傾向にありますね。それよりも慶應の方がオシャレでいいイメージを持っているんです」(サンデー毎日1999年5月22日号) こうして、1990年代後半からは、早慶対決では、「慶応が上」、「早稲田凋落」との評価が広まっていきます。冒頭で紹介した、早慶のW合格者の入学者対決データ(早慶両方に合格した人が進学する割合)ですが、1993年と2003年を比べると以下のようになります。 ◇データ2:1993年・2003年入試・W合格者の入学者対決データ(駿台予備学校調べ) 早稲田大/慶応義塾大(数字は1993年→2003年の順に比較) 第一文学部 65.1% →20.7% / 文学部34.9% → 79.3% 法学部 48.1% → 17.1% / 法学部51.9% → 82.9% 政治経済学部 63.4% → 36.8% / 経済学部36.6% → 63.2% 商学部 31.9% → 12.0% / 商学部68.1% → 88.0% 理工学部 71.4% → 32.4% / 工学部28.6% → 67.6%