準硬式でも甲子園を目指せるチャンスはある 前例に無いことに挑み、実現した甲子園大会<田中裕毅の”準硬ドットコム”第12回>
憧れの舞台への第一歩
ここで1つ甲子園大会を支えた1人の学生について触れたい。 甲子園大会をやるにあたって、連盟は学生たちが中心となるプロジェクトチームを発足。そこに特別な思いを持って取り組んでいたのが、今回紹介するプロジェクトリーダー・池田有矢氏だ。 甲子園大会の運営責任者として学生たちのトップに立って、無事に成功させた影のMVP。そんな彼女は、2022年のときもプロジェクトチームに在籍。目の前で甲子園の舞台が遠のき、悔しい思いをした1人でもある。 「去年できなかった分、今回は準硬式を盛り上げられるようなステップにしたいと思っていました。そのために春先から動かしてきました。 私自身、祖母の家でみたプロ野球の中継がきっかけで野球は好きになって、中学生の頃には甲子園を1日見るくらい夢中になっていたんですよ。だから高校からは野球部のマネージャーになりましたし、選手たちと一緒に甲子園を目指していました」 池田個人にとっても、甲子園には強い思い入れがあった。だが、高校時代はベンチメンバー20人ギリギリの規模で、グラウンドもサッカー部と共用。どこにでもある普通の公立高校だった。 「甲子園はスローガンでしたけど、実感はなかったです。練習試合もほとんど地元の公立校ばかりで、甲子園に近い強豪私学と試合をやる機会なんてなかった。地元だと中京大中京や東邦なんかもいましたので、そこと比較すると甲子園は遠い存在。目指していたものの、夢のまた夢のような場所でしたね」 だから、2022年にプロジェクトチームに選出された際は、「本当に私で良いんですか」と驚きとともに、喜びが大きかった。 「甲子園を経験した人に聞くと、やっぱり一生懸命やった人たちが入れる場所だと思っていたので、運営側の立場で、かつ甲子園と無縁だった私が甲子園に行けるのはありがたかったです」
挑戦、熱量、準硬愛さえあれば
初開催となった2022年とは違い、2回目だった2023年は「開催までの流れ、スケジュールといった土台の部分は決まっていたのでイメージはしやすかった」とスムーズに準備は進み、打ち合わせも依然とやり方を工夫したことで、月1回ほどペースで打ち合わせを重ねながら準備を進めたという。 宿舎、球場、記念シャツの手配。タイムスケジュールの調整、各選手たちへの連絡など、裏方の仕事を、池田氏が中心になって準備を進めた。 ただ、なかには2023年大会から新たに取り組むこともあった。 「平日開催になったというのが1つポイントになりましたし、今回は1日甲子園を使わせてもらえることになったのは、前回と大きく違います。 早い時期に平日1日を使えることは決まっていたんで、中学準硬式と前回選ばれた選手たちの試合の2つの案が出たんですよ。 中学生にとっては去年のリベンジですし、甲子園は思い出に残ること。今回は準硬式を伝えていくことが目的だったことを考えても大事だったので、候補に出てきました。 前回のメンバーについては、なかには社会人になった人もいましたが、話を聞くと『え、できるの?だったらすぐに有給とるよ。日にちを教えて』と凄く喜んでくれたんです。だから、前回のメンバーによる試合も候補にあげていたんです」 結果的には、平日開催だったため、中学生は難しかったが、前回メンバーは集まれる選手たちによるエキシビションを実施。中学生に対しては、地域交流と題した野球教室を初日に開催。また試合前のシートノックは一緒に受けるようにするなど、準硬式の魅力を伝えるようにプログラムを編成した。 一方で上手く物事が進まず、「今年は去年と違うんだね」とちょっとした指摘をうけることもあったという。経験があるとはいえ、歴史的な1日を実現させるには簡単ではない。 ましては自チームの活動、学生生活、アルバイトなどやるべきこと、やりたいことは他にもたくさんある。そんな多忙な生活をやり切れたのは、準硬式への思いがあるからだ。