<私の恩人>アキ、松本人志さんが自分を大きく変えてくれた!
「この人が出るとチケットが売れる!!」と言われるのが、吉本新喜劇のアキさん(47)。得意ギャグ“いいよぉ~”が出ると、大阪・なんばグランド花月が揺れるような歓声が起こる人気ぶりですが、涙で心を元気にするイベント「涙活プロジェクト~橋本昌人ホッとライブfeat.水玉れっぷう隊アキ~」(大阪・YES THEATER、7月1、2日)で新境地も開拓しています。常に、前へ、前へと歩み続けていますが、原動力となっているのは恩人への感謝の心でした。 小籔千豊 一晩中説得された…今があるのはあの後輩2人のおかげ
僕の場合、本当に、本当に、皆さんにお世話になっているので、恩人としてお名前を挙げるべき方がたくさんいます。 石田靖さんは、僕が大阪から東京に行って、仕事的に本当につらい時代にずっと舞台で使い続けていただいた方。さらに「好きなようにやりや」と自由にさせていただいた。石田さんがいなければ今はないし、感謝しかありません。 そして、2014年から大阪に戻ってきて吉本新喜劇に所属してからは、辻本茂雄さんにお世話になりっぱなしです。“新喜劇のアキ”を作ってくださったのは紛れもなく辻本さん。ただただ、ありがたい限りです。 そして、このお二人にお世話になれる自分になれた原点と言いますか、最初の部分を作ってくださったのが松本人志さんやったんです。
大阪で10年ほど芸人をした頃、東京でダンス系の番組があって、そこに出演するようになったんです。そこに松本さんも出演されていて、番組収録終わりで、松本さんが「みんなで飯に行こう」と打ち上げに連れて行ってくださったんです。大阪時代も、もちろん、お会いしたことはありますし、大人数の仕事で松本さんとその他若手大勢みたいな中ではご一緒したことはありましたけど、しっかり一緒にお仕事をさせてもらうのはその日が初めて。 打ち上げで行ったお店は、大人数やったんで、長机がいくつかあって、だいぶ離れた席に松本さんが座ってらっしゃったんですけど、ふと、松本さんを見て、強烈に思ったんです。「カッコええなぁ…」と。 僕は芸人になる前は京都の撮影所でスタントマンをしていたので、勝新太郎さん、菅原文太さん、里見浩太朗さん、松方弘樹さん、田村正和さん、松平健さんらと一緒に仕事もさせてもらってたんです。だから、スターさんのオーラというか、空気みたいなものは間近で見てはきたんですけど、その空気とも違う。とにかく「カッコええなぁ…」なんです(笑)。この感覚はホンマに初めてのことで、なんと言うんでしょう、なんとも口で説明しにくいんですけど「自分にこんな感覚があったんや…」と自分で驚くくらいでした。 当時は、今田耕司さん、木村祐一さん、宮迫博之さん、千原ジュニアさん、宮川大輔さん、山下しげのり(オモロ―山下、現・芸能記者)らと、松本さんはよく食事に行かれてたんですけど、その中だったら、山下は同期なので、すぐに電話したんです。「なぁ、山下、次はいつ松本さんとメシに行くん?」と。そうしたら、その打ち上げ翌日にもご飯に行くということやったんで、さっそく、連れて行ってもらうことになったんです。 そして、これは不思議な体験ではあるんですけど、まず、松本さんの家に集合してからご飯に行ってたんですけど、松本さんの家までの道のりは覚えている。家に着いて、すごく広いリビングにビリヤードの台が置いてあったのも覚えている。そこに奥の部屋から松本さんが出てきたのも覚えている。ただ、どこにご飯を食べに行ったか、ましてや何をしゃべったかという記憶が全くないんです。もちろん、初めてしっかりとご飯に行かせてもらうわけですし、お酒を飲みすぎて記憶がないとか、そんなことではないんです。極度の緊張で、記憶が抜け落ちてるんです。ここでも、こんなことがあるんやと思いました。 ただ、幸い、むちゃくちゃなことはしてなかったみたいで(笑)、そこから、だいたい週に4日くらいのペースで10年ほどご飯に行かせてもらうようになりました。