裁判沙汰になった300年前の沈没船、残骸発見→最新調査でここまで「謎」が解けた
18世紀にノルウェーの海で沈没した、アイルランドの貨物船プロビデンツ号。遺物や船体、木材の調査から「誰のミスで沈没した可能性が高いか」まで明らかに!
300年前の沈没船を取り巻く謎に、いま新しい光が当てられようとしている。始まりは2020年12月、ノルウェー南部の町マンダル近くの海でプロビデンツ号という船が沈んでいるのが見つかったことだった。 【画像】エジプトの末期王朝時代の巨大な墓、金箔工芸品と共に発見 アイルランドの商船であるプロビデンツ号は1721年9月22日、ノルウェーのアーレンダールを目指し、アイルランド南西部の都市コークの港を出航した。コークの有力な一族であるラビット家が所有していた船で、バター、トウモロコシ、小麦、麦芽などを満載していたと、考古学者のセーラ・フォーシットは説明している。 10月16日、プロビデンツ号はマンダルの近くで一時停泊し、しばらく天候の回復を待つことになった。数週間後、出航が決まり、沖に出るための針路を案内する地元の水先案内人が船に乗り込んできた。 ところが11月9日の早朝、天候はよく、月明かりがたっぷり注いでいたにもかかわらず、プロビデンツ号は海底の岩礁にぶつかり、船体の左舷に穴が開いてしまった。乗組員たちは無事に脱出できたが、船はあっという間に沈没した。 その後ほどなく、沈没の原因を解明するために裁判が行われた。水先案内人は裁判所に出廷せず、代わりに書簡を提出し、航海士を含む乗組員の一部が酒に酔っていて、正しく船を操舵できなかったのだと主張した。 一方、乗組員たちは水先案内人の責任を指摘した。その人物が右舷と左舷を勘違いして誤った針路を指示するという重大なミスを犯したために、船が沈没するに至ったというのである。 今年行われたプロビデンツ号の調査に参加したノルウェー海洋博物館の海洋考古学者ヨルゲン・ヨハンネセンが本誌に語ったところによれば、一部の乗組員が酒に酔っていたことは十分にあり得るが、沈没の最大の原因は水先案内人の指示ミスである可能性が高いという。
西欧の交易ネットワーク
プロビデンツ号はこれまで300年の間、海の中で行方不明になったままだった。マンダルのダイビングクラブのメンバーが沈没船の残骸を発見したのは、2020年12月のことだ。「地元のダイバーたちは40年以上、(プロビデンツ号の)残骸を探していた」と、ヨハンネセンは言う。 沈没船の残骸が見つかるとすぐ、ヨハンネセンらは調査に着手した。「最初に行ったのは、盗まれやすそうな遺物をいくつか回収することだった」と、ヨハンネセンは言う。 「船体と建造方法も調べたいと考えた。それに、この沈没船が本当にプロビデンツ号なのかを確認したかった。調べてみると、この船は間違いなくプロビデンツ号だと分かった。理由は、『コーク』という文字が記された陶製パイプが2つ見つかったこと。コークはプロビデンツ号が出航した港の名前だ」 今年4月には、船の建造方法がオランダ式なのかイギリス式なのかを明らかするために、新しい調査を行った。その結果、オランダ式の方法で建造されていることが判明した。船体に鉄製のリベットとくぎが多用されていたことから、その結論を導き出せた。 研究チームは、船体から木材のサンプルも持ち帰った。それにより、いつどこで船が建造されたかを突き止めようというのだ。 この調査によって、1700年頃にドイツ北部産のオーク材で造られた可能性が高いと判明した。「もっと多くの木材サンプルを分析に回しているので、さらに驚くべきことが分かるかもしれない」と、ヨハンネセンは言う。 この沈没船は歴史学的・考古学的にも興味深いと、フォーシットは指摘する。 「アイルランドの貨物船の沈没事故に関する研究は非常に珍しい。それに、ラビット家はコークの町で非常に大きな影響力を持っていた。政治的にも経済的にもその権力は絶大だった。(ラビット家の)ジョセフとウォルターの父子はいずれも(コークの)市長を務めた」と、フォーシットはノルウェー海洋博物館のブログに記している。 「プロビデンツ号にも謎めいた点がある。当時、アイルランドの船がノルウェーを目指すことは極めてまれだった」と、フォーシットは指摘する。 ヨハンネセンの見方によると、ラビット家はこのオランダ船でアイルランドの産品をノルウェーに運んで売り、そのお金でノルウェーの木材を購入しようとしていたようだ。 「この1隻の沈没船から、当時の西ヨーロッパに広い地域の交易ネットワークが存在したことが見えてくる」と、ヨハンネセンは言う。 アリストス・ジョージャウ(科学担当)