三田村邦彦「“こんな役はできません”と」脚本・監督を務めた芥川賞作家からの映画出演オファーを断った仰天エピソード
『必殺仕事人』シリーズの飾り職人の秀や、『太陽にほえろ!』のジプシー刑事をはじめとする人気ドラマで一世を風靡し、71歳となった現在も渋い二枚目俳優として活躍する三田村邦彦のTHE CHANGEとは――――【第2回/全4回】 ■【画像】三田村邦彦が「“こんな役はできません”と」芥川賞作家から直々のオファーを断った伝説の作品 新潟県新発田市で生まれ育った三田村邦彦は、小学生のときにはもう「俳優になりたい」と思っていたという。 「当時はまだ、どこの家庭にもテレビがあるというわけじゃなかったし、何を見て俳優になりたいと思ったかは、覚えていないんですが、小学校2年生くらいのときには“お芝居をする人になりたい”と憧れていたし、卒業するころには“どうやったらなれるんだろう?”と考えていました」 中学、高校と進むにつれ、俳優へ思いは膨らむ一方。家出同然に上京して、劇団の入団試験を受けたという。 「俳優座に入りたいと思ったのですが、その年は試験がなくて、文学座を受けました。1回目の試験は一次審査しか通らなかったものの、翌年は最終試験までたどり着いたのですが、ここで一悶着起こしてしまったんです」
“親の援助はあります!”と嘘をついて劇団青俳に合格
面接官から「両親から金銭的な援助はしてもらえるのか」と問われ、「勘当同然なので、自分でアルバイトをしながら演技の勉強をしたい」と答えたところ、「うちの劇団には、それで成功できた人はいない。両親を説得してきなさい」と言い渡されてしまったという。 「押し問答の末“あんな劇団、こっちから願い下げだ!”と腹を立てながら安アパートに帰ったんですが、だんだん“どうしてバカ正直に答えてしまったんだろう……”と反省して、次に受けた劇団青俳の面接では“親の援助はあります!”と嘘をついて合格できました(笑)」 劇団青俳は、蜷川幸雄、石橋蓮司、宮本信子などが所属していて、三田村はここの養成所に入所することになったが、なにしろ親の援助は嘘なので、稽古とアルバイトで寝る時間もないほどの日々を送ることになる。 「アルバイトはとび職で、今回出演する『おちか奮闘記』が上演される三越劇場のあたりでは、けっこう足場を組んだりしましたね。朝まで現場をやって、稽古が始まるまで稽古場で寝てたら先輩から叱られたり」 そんな日々を送る三田村に、映画の主役の話が舞い込んだ。 第75回芥川賞を受賞した『限りなく透明に近いブルー』。脚本・監督は、作者の村上龍である。 「龍さんを含む何人かと会って、短いセリフを読んだんです。原作を読んだことがなかったので帰りに買おうとしたら1400円くらいするんですね。とび職の日給が1440円だったので、ぼくにとっては高価です。でも読まなくちゃと思って買って帰ったんですが……、言葉を選ばずに言うと“なんだこれ!? 買って損した!”。5ページくらい読んだところでゴミ箱に捨てちゃったんです(笑)」 ところが、村上龍は主人公のリュウは三田村邦彦しかいないと、劇団を通して何度も連絡してきた。そこで、1度会うことにしたのだが……。 「龍さんに“本は買ったけど、読んでないです。ゴミ箱に捨てたから”と言うと、“脚本は小説とはちょっと違うから、読んでみてくれる?”とおっしゃるので読んだのですが……どこが違うのかさっぱりわからない。というか、内容がぼくの生き方にことごとく反しているので、こんなのはできないと改めて思いました」 『限りなく透明に近いブルー』は、横田米空軍基地がある東京・福生市で、クスリやセックス、暴力に明け暮れる若者を描いた作品。 「次に龍さんに会ったとき、“このリュウという男は、なにもかもを人のせいにして、社会的に悪であることばかりやっている。反省も希望もない。ぼくには、こんな役はできません”とハッキリ言いました」 しかし結果的に三田村邦彦はこの映画の主役を務め、俳優として次に繋がる爪痕を残すことになる――――。 三田村邦彦(みたむら くにひこ) 1953年10月22日生まれ、新潟県新発田市出身。1979年に映画『限りなく透明に近いブルー』でデビュー。同年『必殺仕事人』(テレビ朝日)の飾り職人の秀で注目され、『必殺』シリーズのドラマ、映画に多数出演。1980年に『必殺仕事人』の挿入歌『いま走れ、いま生きる』で歌手デビューし、シングル・アルバムを多数リリース。俳優としての主な出演作は『必殺』シリーズのほか、ドラマ『太陽にほえろ!』(1982-1983 日本テレビ)、映画『太陽の蓋』(2016)、舞台『かたき同志』(2021)『アンタッチャブル・ビューティー』(2022)など。2009年より旅番組『おとな旅あるき旅』(テレビ大阪)のMCを務めている。 工藤菊香
工藤菊香