AKB48 17期生畠山希美「コロナ禍の自粛期間がなかったら、アイドルになっていなかったと思います」【連載 なんで令和にAKB48?】
2005年(平成17年)12月8日に秋葉原で産声を上げたAKB48。前田敦子、高橋みなみ、小嶋陽菜、篠田麻里子、大島優子、指原莉乃ら数々のスターを生み出し、誰もが知る国民的アイドルグループとなった。 あれから十数年、元号は令和に変わり、また新たなスター候補生が続々と加入している。当時とは異なる状況で、彼女たちは何を思いAKB48になろうとしたのか? どこを目指すのか? フレッシュメンバーの魅力を深掘りインタビューでお届けです! 第8回は7月21日より昇格記念ツアーが始まる17期生の畠山希美(はたけやま・のぞみ)。前編ではAKB48に入るまで。小学校時代の話や、初段を持っている剣道の話などを語ってもらいました。 ■新しい環境が苦手で、最初に兄がやるのを見てました ――子供時代はどんなコでした? 畠山 新しい環境が苦手でした。ひとつ上の兄がいるんですけど、先に兄がやってるのを見てからじゃないと基本動きたくない、ファーストペンギンにはなれないタイプの人間でした。他の人がやってるのを見て、これは大丈夫なんだ、ダメなんだと学んで生きてきましたね。 ――お兄さんはどんな人なんですか? 畠山 けっこう可愛がってくれて。よしよしっていう感じではないんですけど、私が怖気づいてると一緒に行こうって言ってくれたり、足をケガした時にサンダルを貸してくれたり。 ――優しいですね。 畠山 それと親が言ってたのは、幼稚園の頃かな? 夏になると変なことをしだすって。自分で歌や踊りを作って、それを最後まで見てくれないと怒るみたいな(笑)。 ――ひとりコンサートみたいな。 畠山 例えば触覚って髪型あるじゃないですか。それを触覚って呼ぶのを知らなくて。虫の触覚だと思っていて、触覚ある人ってなんだ~? って歌を作っていたり(笑)。 ――まったく意味がわからない(笑)。新しい環境が苦手と言ってましたが、小学校とか大丈夫だったんですか? 畠山 入学したら同じ幼稚園だったコが4、5人しかいなくて、行きたくないって(笑)。でも、そういう時は兄が私のことをみんなに紹介してれくれて。学校ではよく「はたけの妹」って呼ばれてました。 ――「畠山の妹」ってことか。授業で手をあげるタイプでした? 畠山 あげたくないタイプでした。うちのクラスって、誰かが答えると周りが「合ってます」とか「違います」とか反応してたんですよ。集団行動を学ぶって意味だったかな? ――例えば算数で「1足す1は?」聞かれて、「2です」って答えたら、みんなで「合ってます」って言うのか。 畠山 間違ってたら「違います」って言われるんですよ。それが恐怖でした。なので、道徳が好きでしたね。道徳って正解がないから、思ったことを自由に言ってよくて。いつもより手をあげてました。 ――勉強はどんな感じだったんですか? 畠山 基本全部苦手でした。もう小学校の算数からつまずいてましたね。 ――勉強しなさいとか言われないの? 畠山 言われますけど、そんなには言われなかったです。でも授業についていけないので、先生に指された時は怖いんですよ。間違えたら「違います」って言われるし。プリントも解けないし。 ――お兄さんが勉強を教えてくれたり。 畠山 それに関してはあんまり頼れないというか......。なのでよく母に聞いてました。