「きな臭い」だけじゃない 「イラン」ってどんな国?
長い歴史の中で、支配層の変遷はありましたが、ペルシャ人はその地に残り、現在のイランでも人口の約6割はペルシャ人です。その意味で、イラク、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)などアラブ人中心の国ばかりの中東地域において、特殊な存在とも言えます。 ちなみに、有名なペルシャ絨毯(じゅうたん)は、紀元前7世紀にはすでに地域の主要産業となっていたそうです。
モンゴル帝国や、現在のトルコに首都を置いていたオスマン帝国など他の大国や民族による支配を受けた時代を経て、1501年にサファヴィー朝が成立します。
イスラム色「濃い時代」「薄い時代」
イランの歴史を語る上で鍵となるのは宗教です。 上記の通り、ササン朝ペルシャ時代はゾロアスター教の地域でしたが、サファヴィー朝でイスラム教シーア派が国教となりました。時代は進み1925年。パフラヴィー朝が誕生します。この王朝はイスラム色を薄めて国家の発展(近代化)を目指す「脱イスラム化」を試みました。60年代には女性参政権や農地改革などを含む社会・経済改革(白色革命)を、米国の支援を受けながら断行。この時期までは米国と協調する関係にあったことがうかがえます。 一方で、経済成長を遂げた半面、強権的な改革が国民の反感を招きます。
後にイランの最高指導者になるイスラム教シーア派のホメイニ師が国外追放になったことへの反発などから民衆の王政に対する批判が高まっていきました。デモ隊と軍の衝突などが起きた末、79年に時の皇帝が国外へ脱出し、パフラヴィー朝は幕を閉じました。国を率いることになったのがホメイニ師です。宗教色を抑えた国家から、宗教指導者をトップに据えたイスラム共和国への転換。これがイラン革命です。 89年にホメイニ師が死去してからは、ハメネイ師が最高指導者の地位を引き継ぎ、いまに至ります。イランは最高指導者の権力が絶大なシーア派の国で、中東地域で紛争などが起きた際にイランがシーア派側を側面支援することが多いのはそのためです。
資源大国 日本との関係は?
イランの産業はどうなっているのでしょうか。 外務省によるとイランは「世界第4位の原油埋蔵量及び世界第1位の天然ガス埋蔵量を有する有数の産油国」です。日本もイランから原油を輸入しています。日本貿易振興機構(JETRO)の報告書などによると、日本のイランからの輸入全体(2018年)は約34億6100万ドルですが、内訳をみると97.4%は鉱物性燃料(原油)です。 イランへの輸出は約7億2000万ドルと輸入を大きく下回り、大幅な「輸入超過」の状態になっています。輸出では、一般機器や輸送用機器(自動車など)が主軸となっています。