「YouTubeに騙されている」「兵庫県民は情弱」という決まり文句で片付けてはいけない…。斎藤氏再選で「兵庫県民を批判」する人の”盲点”とは?
そのような「新しい戦線」においては、他者の姿は、世界観が反転したパラレルワールド、いわば「鏡の国」の住人のようなものとなる。何もかもが真逆で、どこから突っ込んで良いのかが分からない感じなのだ。それぞれがまったく別の現実にいるからである。 「斎藤知事は内部告発した職員を“粛清”した独裁者だ。彼が唱える改革は中身のないまやかしで、ただのパワハラの常習犯でしかない」と、「斎藤知事の真実はYouTubeで知った。彼は既得権益と戦い、マスメディアの攻撃を受けた」という永遠に交わらない世界線を生きているようだ。
ただ、一方で、このようなSNSでインフルエンサーなどが発信する非公式マスコミの情報が、選挙の流れそのものを大きく変えるほどの影響力を持ちえたかどうかは一考の余地がある。 筆者は、もともと潜在的にあった既存の政治勢力に対する不満や反発が、「既得権益を打破する改革派の逆境という物語」によって刺激され、強化されたと推測する。マスメディアの過熱報道に伴う過剰なバッシングの誘導が、かえって前述の物語と親和性のある判官贔屓を誘発した面もあっただろう。
この場合、最も重要なことは、人々は「新しい戦線」以前に「現状に対するノー」を突き付けていることにある。兵庫では20年もの長期にわたって体制が変わらず、改革志向のニーズが高まっていた。斎藤氏による知事公用車「センチュリー」の解約とワンボックス車への変更による経費削減や、県職員OBの外郭団体への天下りの制限、県庁舎の建て替えの見直しなどが好意的に受け止められていた点に注意を払う必要がある。 ■稲村氏は、魅力的なビジョンを示せていたのか?
なので、「YouTubeに騙されている」「兵庫県民は情弱」などという決まり文句で片付けると事態を見誤るだろう。非公式マスコミによる情報操作による影響は限定的というより、「現状に対するノー」という改革志向を正当化してくれる「大義」を提供したと考えるほうが自然だ。 しかも、対抗馬であった稲村氏は、公約でハラスメント防止条例の制定や公益通報制度の見直しなどを強く打ち出すなど、相手方の「疑惑」に乗っかる方針を取り、魅力的なビジョンを示すこととの間のバランスを失ったように見える。