三上大進「人との違いは『埋めるべき穴』ではなかった」 パラリンピック取材で変わった左手の障害への思い
「おてて、いつ、生えてくる?」 母に聞いた日
――三上さんが手の「違い」に気づいたのは、いつ頃でしたか? 三上: 幼稚園の年中の頃です。みんなとは手の形も、指の本数も違う。そのとき母から「年長さんになったら、生えてくるかな」と言われていたんです。私は素直に「そっか、人には人の、指が生えるタイミングというものがあるんだ」と思っていました。どうやって生えてくるんだろう。生えてくるときは痛いのかな?と心配していましたね。 でも、年長になっても生えてこない。「おてて、いつ、生えてくる?」ともう一度母に聞いたとき、返ってきた反応で、ああ、大ちゃん(三上さん)はずっと人とは違う体なんだな、とその時はじめて理解しました。 ――お母様はそのとき、どんな反応をされたのですか。 三上: 目に涙をいっぱい溜めて、唇をギュッと噛み締め、私に「ごめんね。大ちゃんの指は、生えてこないの。全部お母さんが悪いの」と謝っていました。母は怒るとき、唇をギュッと噛む癖があったのですが、そのときの母の表情を見て「ああ、これは怒っているんじゃない。悲しんでいるんだ」と。 自分の悲しみよりも、母の悲しみのほうが深いことが、子ども心にわかりました。どうすれば母が悲しまずにすむのだろうと考えるようになって、左手が人と違っていることで悩んだり苦しんだりしていることを、家族にだけは知られないようにしようと思いました。 ――書籍ではお母様のしつけについても綴られています。言葉遣いや挨拶、食べ方など、礼儀作法については敏感だったそうですね。 三上: はい。おそらく左手の違いで私が不利にならないように、一般的な礼儀作法は身につけさせたかったのだと思います。 私が生まれたとき、母は、病院の先生方やスタッフの方が自分を気遣っている、気の毒で目も合わせられない、といった雰囲気を感じたそうです。本来なら人生で一番「おめでとう」と言ってもらえるはずの日。母にはそれがすごくショックだったのかもしれません。左手のことで私がそんな風に腫れ物のように扱われることがないように、育てたかったのだそうです。 でも、最近母と話していたら「あの頃は、この子が困らないように、普通でいられるようにとばかり必死になって、すごく厳しくしてしまった。本当は『違い』は違いのままで素晴らしいはずなのに」と言われたんです。「30年前の自分にひと言かけてあげられるなら、当時とは違うやり方があったのかもしれない」って。私としては、そのおかげで今の私があると感謝しているんですけどね。