デビュー戦は、大失敗で「0点」… 飛込・玉井陸斗 五輪メダルへの“知られざる物語”
メダルへの道は、「涙」から始まった。
高さ10メートルから飛び込む競技、高飛込。全く無名だった当時11歳の少年は、身長が20~30センチも高い大人たちに混じって「デビュー戦」を迎えた。その1本目、踏み切りで足が滑って失敗。得点は「0点」だった。「もう一度、やり直したいです・・・。」少年は大粒の涙を流した。あれから6年。彼はパリで日本飛込史上初の五輪メダルをつかみに行く。17歳のホープ、玉井陸斗(たまい・りくと)には“知られざる物語”があった。
小学6年生で「バキバキの腹筋」に
玉井陸斗は2006年9月11日生まれ。兵庫県宝塚市立高司小学校1年のとき、JSS宝塚スイミングスクールで飛込を始めた。「最初は体験(教室)で楽しくやっていて、『選手になってみよ!』って始めました」と笑顔で話す玉井。1964年東京五輪出場の馬淵かの子コーチに基礎を教わり、飛込の本場、中国・上海出身の馬淵崇英コーチの「スパルタ指導」で力をつけていく。毎日の厳しい筋トレで腹筋は見事に割れ、“バキバキ”になった。
“衝撃のデビュ-戦”になるはずが・・・、
小学生離れした筋力で、玉井は難易度の高い技を次々と習得していく。JSS宝塚の大先輩で「飛込界のレジェンド」寺内健さんは当時、「世界レベルの選手の演技を、小学校6年生でできる。しかもクオリティが高い」と驚いていた。崇英コーチと一緒に玉井を指導していた辰巳楓佳コーチは、「(飛込の)才能もすごいけど、努力もする。まじめにコツコツやる才能も持っていると思う」と練習に取り組む姿勢を褒めた。そして、2018年6月、シニア大会デビュー戦、関西選手権を迎える。高校生や大学生らに混じって出場した玉井は、飛込界ではまだ無名の存在。メディアで撮影していたのは私1人だけだった。私は、「小学生がぶっちぎりで優勝して、周りをあっと驚かせるに違いない」。そう思っていた。
男子髙飛込は6本の異なる技を飛び、合計得点で競う。玉井の1本目は「前宙返り3回転半エビ型」。少し緊張した表情で、高さ10メートルの飛込台に立った玉井。勢いをよく助走して踏み切った瞬間、足がツルっと滑った。3回転半の技が「2回転で入水」する、まさかの失敗。得点は「0点」だった。その後、追い上げたが1本目の失敗が響いて、8位に終わった。