【宮崎祐樹連載#27】4年ぶりのホームラン!勢いに乗って一軍に定着するはずが…
【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(27)】プロ7年目となった2017年、僕は開幕一軍に残ることができました。このシーズンは福良監督の2年目になります。ただ、僕は開幕スタメンに名前を連ねることはできませんでした。1年後に入団してきた小島脩平(現オリックス二軍内野守備・走塁コーチ)が「7番・左翼」でプロ初の開幕スタメンを勝ち取りました。 でも、小島はその開幕戦での走塁中に故障してしまうんです。僕はその代役として出場機会を得ることになっていきます。当初は代打出場が中心でしたが、4月中旬ごろから「1番・中堅」でスタメン出場する機会が増えていきました。 僕自身も好調で、4月終了時点のチーム成績は2位。15勝8敗のスタートダッシュとなりました。4月20日の日本ハム戦(東京ドーム)では「1番・中堅」でスタメン出場して2打席連続本塁打。チームの勝利に貢献することができ、ヒーローインタビューも受けることになりました。このホームランは僕にとって4年ぶりでした。 そのまま勢いに乗って…と言いたいところですが、僕は一軍に定着することができませんでした。自分としてはできる限りのパフォーマンスで、チームのためにプレーしているつもりでした。 ですが、調子が下降気味になり、何打席かノーヒットとなると簡単にファーム行きです。自分自身が首脳陣の信頼を勝ち取れていないからダメなんですが…。モヤモヤした気持ちが続きました。 4月が好調で結構試合に出場していたイメージが残っているのに、シーズンを通してみれば52試合です。3年目の自己最多53試合に次ぐ成績ですが、ほとんどがシーズン序盤で残した数字ということになります。「137打数」と「37安打」は自己最多ではありました。打率は2割7分とそこまで悪い数字ではなかったと思いますが、何かスッキリしない気持ちはありました。 僕は思い切りのいい打撃が武器の一つではありますが、追い込まれてからの粘りと選球眼にも自信がありました。1番打者での起用が多かったので中軸の前に出塁しようという意識は高かったです。 13年は146打席で19四球なのですが、これをレギュラークラスの500打席に換算すれば65個ということになります。24年の成績を見ても、この数字はパ・リーグ4位に相当する数字です。このシーズンは打率2割2分3厘でしたが、出塁率は3割3分1厘でした。 実際、結果的に三振に倒れたとしても一球でも多く球数を投げさせようと考えていました。相手の投手やピッチングコーチからすれば面倒くさい選手だったと思います。契約更改の席でも球団の査定担当の方には「7、8球、粘った打席はプラス査定にしてください」とお願いしましたもんね。3打席で二十何球投げさせるのはチームプレーだと思いますと主張しましたよ。 タラレバの話になりますが、僕が23年に日本一になった阪神タイガースにいたとすれば、高査定を勝ち取れたかもしれないですよ。岡田監督の提案で四球の査定ポイントがアップしたじゃないですか。あれはモチベーションが上がったでしょうね。
宮崎祐樹